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忘れ得ぬ人々& 道草ノート

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道草フォト575 その63 師走のポプラ並木

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   今年も残り少なく気忙しい時候を迎えました。この時期に差し掛かると何故か東大
   農場のポプラ並木が恋しくなります。あの北海道を思わせる牧歌的なポプラ並木!
   西武新宿線田無駅から歩いて10分余り、市街地に接して広がる10万坪の東大農場
   と演習林。その北部の一角にあるポプラ並木は目測 80メートルほどですが、並木越
   しに望む景観は北海道の大地を思わせて気分が解放され、一年を静かに振り返るに
   絶好の場所のような気がして…。
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   ところが、所沢街道に面した正門には「東京大学大学院農学生命科学研究科 附属
   生態調和農学機構」と長ったらしく難しい名称の銘盤が掲げられ、東大農場も正式名
   称は「東京大学大学院農学生命科学研究科 附属農場」だそうで、今年の4月1日か
   ら大幅に改組され、端的に言えば従来の農業の生産性を追求する研究から、生態系
   の働きを追求する研究機構にチェンジ!したとのこと。
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   確かに地球温暖化に備えてチェンジも大事ですが、原風景を保つことも生態系の上で
   は大事なのではないか…と、機構側の説明に矛盾を抱きながら場内を散策してみまし
   た。
   明治11年(1878)新宿御苑内に創設された農学校が東大農学部の始まりで、幾多の変
   遷を経てその附属農場がこの田無町(現在西東京市)に移転してきたのは昭和 10年で
   多摩農場と称され、戦後、昭和22年10月に東京大学農学部附属農場と改称。地域では
   東大農場と呼ばれてきたそうです。その当時以後建設された木造平屋の作業場や農機
   具小屋、家畜の飼育場などが現在も見学通路から見られますが、いずれは取り壊され
   たり、新しい研究施設に生まれ変わるようで、今回が見納めか…と。
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   数年前まで畜舎や放牧場が広がり、大型のサイロが望めたエリアは立ち入り禁止に!
   サイロも畜舎も今年の3月に取り壊され、殺風景な冬景色になっていました。かつて
   は親子連れのピクニック姿が見られ、乳牛たちと親しめたのに…。三年前に訪ねた晩
   秋には長い脚で闊歩していたダチョウも6月に移転したそうです。
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   そしてシンボル的だったポプラ並木も「枝の落下に要注意」の立札があり、ロープが
   張られて立ち入り禁止になっていました。枯死したのか伐採された切株もあり、ポプ
   ラ並木から眺められた景観も様変わりしてしまいました。
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   さらに東大農場・演習林を分断する西東京3・4・9号線都市計画道路も予定されてい
   るそうで、それこそ生態系を壊す開発行為ではないかと思うのですが、研究施設の附
   属の農場である以上推移を見守るしかないのでしょうか?
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   放牧地に接して広がる演習林は健在でしたが、演習林内で毎年営巣しているオオタカ
   の狩場である農場がコンクリートで分断されたら、絶滅が危惧されているオオタカは何
   処へ追いやられるのでしょうか?私たちにも住みにくい世の中になったことを痛感する
   一年でした。
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   今年の3月末で消えてしまったサイロ。1975(昭和50)年3月に竣工したタワー
   サイロは直径6m、高さ18.021m、貯蔵量約3003立方メートルのドイツ製リップ
   システムサイロでした。
by love-letter-to | 2010-12-13 16:21 | 道草フォト575 | Comments(0)