マロニエの木陰の人

情熱的なピアノのイントロから始まる『マロニエの木陰』。マロニエの木陰』と言えば
松島詩子松島詩子といえば『マロニエの木陰』と言われるくらい、往年のファンは
魅了され、忘れがたい名曲である。

リズムの感のあるピアノ伴奏も詩子さん自身が弾いており、歌謡界で“弾き語り”で
歌ったのはこの『マロニエの木陰』がそもそもではないかと。
昭和11年頃レコード吹き込みしたが、それまで3年間もレコード会社のディレクターの
机の引き出しで眠っていた。
音域が広く難しい曲で歌える歌手が見つからなかったそうである。

戦時下の浅草公会堂で出征家族の慰安会でも歌うことになっていたが、
相次ぐ空襲警報でバンドマンたちが到着しなかったことがある。
「松島さん、元音楽教師だからピアノが弾けるだろ。弾いて歌ってよ」。
痺れを切らした関係者や客席の声に急かされてダダダーン!

両手の5本指でキーを叩きつけるようにして始まる『マロニエの木陰』の有名な
イントロに続いて、「空はくれて丘の涯(はて)に…」と歌う松島さんの心に染み入る
歌唱力に会場は酔った。以来、松島さんの十八番になり、コンサートで欠かせなくなった。

松島詩子さんに直接お会いしたのは、昭和53年(1978)勲四等瑞宝章を授章された
直後であった。まだ小平が村時代の昭和16年に建てた住まいの愛用のグランド
ピアノの前で。

「勲章なんか頂いたら、年がばれちゃったわよ」と、美人歌手でならしてきた
容姿に似合わずざっくばらんで、気配りの行き届いた女性だった。

女学校の音楽教師に飽きたらなくて、周囲の反対を押して歌手デビューを果たした
当時から、レコード会社の社命で5つ6つサバよんできたそうだ。
とにかく歌うことが命で、練習の鬼。歌手生活半世紀近いベテランにもかかわらず
毎日発声練習を欠かさず、ボイストレーニングにも通っていた。

松島詩子の芸名はかの有名な作曲家山田耕筰がつけてくれた。
レッスンをする時間がとれない代わりに「名前をつけて上げるよ」と。
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親子ほど年が離れ別世界に住むような松島さんだが、この日のインタビュー以来、
親しくお付き合いをさせてもらった。
昭和60年(1985)に開かれた『傘寿の祝い歌』コンサートの前後だったか、
「孫にね、バーバが元気で歌えるのは“マロニエのお陰”だねと、言われたの」と
嬉しそうに語った松島詩子さん。
平成8年(1996)11月91歳で他界される直前まで、『マロニエの木陰』のピアノの
タッチは乱れることがなかった。誰にも真似のできない味だった。

マロニエの木陰:坂口淳作詞 細川潤一作曲
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Commented by h-sato65 at 2007-03-22 10:54
次はどなたの思い出が、どのような思い出のシーンが紹介されるのかたのしみにしております。
Commented by cheery at 2007-03-22 23:42 x
素敵なブログ拝見させて頂きました。同じ小平にいながら残念
なことに、一度も松島詩子さんには、お目に掛かるチャンスが
ありませんでした。
四小通りと平行した一橋大学の塀に沿った道は
マロニエ通りと聞いたことがあります。詩子さんがご健在の頃
よく散歩をされたとか、何かで読んだ記憶があります。
あの有名な歌は、いつも何気なく通ってる、あの道だったので
しょうか?  

Commented at 2007-03-24 00:20
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2007-03-24 00:41
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by okufuu at 2007-03-26 20:42 x
素敵なブログ拝見させて頂きまして、懐かしく楽しく読ませていただきました。ずっと以前私がお琴を習っていました時に一度松島詩子
さんのスタジオで発表会をさせていただいたことがありました。
私の先生が詩子会で歌をうたっていらっしゃって私も一度その会にも行きました。とてもお元気な(本名ウツミ ヤスコさん)でした。
昔々のよき思い出が蘇ってきました。
ほんとうに良いブログを読ませて頂き、ありがとうございました。
Commented by picarbabu at 2015-07-08 09:44 x
7月7日[七夕]に開催された「歌の出前」で、「マロニエの木蔭」を歌った際に、松島詩子さんの学園西町のお宅が「ケアタウン小平」の提携施設になっていると聞きました。当方、初耳だったので、びっくり!!!でした。モグラさんはご存知でしたか?
Commented by love-letter-to at 2015-07-08 11:23
picarbabu さん、お早うございます。
「道草フォト575」300回で一応ピリオドを打ちましたが、
玉川上水歩きはこれまで通り、週1~2回は続けております。
今月2日、喜平橋~中央公園まで歩きましたら、野萱草と
藪萱草が道々に咲いて、かつての武蔵野を偲んできました。
上水の細長い緑地は本当に貴重な自然であり、遺産です。

松島詩子さんとも20年以上のお付き合いでした。
古希を越されて以来のコンサート、喜寿傘寿のお祝いの
席ににも呼んで頂きました。
大歌手なのに飾らない性格で、普通の女性感覚も持ち合わせ
ておられ、他界されるまで前向きに精進されておられました。
松島家の一部は昨年の4月、ケアタウン小平のボランティア
グループで運営されるケア施設になったことは、2014年4
月13日付けの「道草フォト575」でも、紹介致しました。
私も施設見学会に参加してきました。
by love-letter-to | 2007-03-21 14:38 | レクイェム | Comments(7)

忘れ得ぬ人々&道草ノート折々


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