うどん博士のうどん学

       花のアトリエで手打ちうどんを
先日、玉川上水堤で毎日のように絵を描いている鈴木忠司さんに出会った。小松橋
付近でヤブマオを描いていた。猛々しく茂っているヤブマオだが、鈴木さんの画には
花穂をつけたヤブマオがたおやかにに描かれ、まだ未完成だったが幽玄の情が感じ
られた。
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「エッ、ヤブマオって、こんなに美しかったっけ?」「深い緑の葉の色と青磁色の花穂
の取り合わせは、見れば見るほど魅せられますよ」

そう言われて目の前のヤブマオの花穂を見ると、細かい花が無数に群がって淡い陽
炎が立ち上っているようだった。

その一ヵ月ほど前に鈴木さんのアトリエで手打ちうどんをご馳走になった。いずれ劣
らぬ玉川上水ファンの集まりで、鈴木さんの打ち立てのうどんに明日葉のてんぷら、
上水堤で摘んだスカンポ(スイバ)の若い芽もマヨネーズをつけて糧(かて:副食)に。

鈴木さんの手打ちうどんは母親譲りだそうだが、『武蔵野手打ちうどん保存普及会
のメンバーでもある。その創立者で“うどん博士”として名高かった故加藤有次先生
に手打ちうどんをご馳走になった日を思い出してしまった。

         うどん博士が襷がけで

指折り数えてみると、もう20年以上も前になる。当時国学院の教授で同大学考古学
資料館の館長を務めておられた。新築した屋敷には『有山庵』と称したうどん作り専用
の別棟も設けて、背広姿から渋い和服に着替え、手早く襷をかけると「ハイ、うどん屋
の親爺に早代わりです」と。襷がけ姿もキマッていた。

「何でまた博物館学博士がうどん作りに興味を持たれたのですか」
「かつて武蔵野を開拓してきた農家では、うどんが冠婚葬祭や“もの日”といわれる行
事、人寄せのご馳走でした。そんな特別の日に母親が打ってくれたうどんの味が懐か
しくて、あの味を…」と、加藤先生は30年かけてやっと納得できるうどんが打てるように
なったそうだ。

水田ができない武蔵野一帯は陸稲に麦や稗、粟が常食で、母親が打ってくれたうどん
は加藤さんにも鈴木さんにも格別の思い入れがある。

加藤先生の専門の博物館学は考古学や民族学、郷土史を土台にして昔の人々の暮
らしを調べ、現在と未来の生き方を追求する学問だそうで、武蔵野の歴史風土から生
まれた手打ちうどん作りも研究の一環で、うどんは立派な文化だと話しておられた。

うどん屋の親爺さんになった加藤先生は、『有山庵』の土間中央にしつらえた広い調理
台で、作業にかかった。地場産の小麦1キロに水380~400cc、伯方産の塩を55グラ
ム加えて、小麦粉が水となじむよう両手指でかき寄せまとめていく手つきの見事なこと!

お供え餅みたいに丸めた生地を厚手のビニールにしっかり包んで、その上に先生が乗
っかって足踏みをしながら、踵を軸に小刻みにゆっくり360度回転。こうやると小麦粉の
グルテンの作用でコシが強くなる。

やがて、生地は直径40センチくらいの円座布団みたいになった。その生地を押入れ
の布団の間にはさんで理想的には数時間寝かせるそうだ。

「エーッツ!」食べるまでにそんなに待たされるのか…と、腕時計を見た私に、うどん博
士は「大丈夫、今朝仕込んでおいた生地が食べ頃になっておりますから」とニヤリ。

発酵した生地は、滑らかで色艶が一段とよくなっており、麺棒で中心部から端へ向かっ
て約5ミリ平均になるまで丹念に伸ばしていく。それをツヅラ折りにたたんで包丁でリズ
ミカル切っていく。さすが!定規を当てたように切り口も揃っていた。

土間の大釜で茹で上がったうどんは、未ざらしの麻紐のようでツヤツヤ。鰹味の効いた
特製のお出しにホーレンソウや茸類を茹でた糧とともに放り込んで、ひと口。喉越しは
滑らかでシコシコ。その美味しさったら!囲炉裏を切った板張りの間で、一人贅沢を味
わったことは20年後の今でも忘れられない。
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加藤先生は1988年に『武蔵野手打ちうどん保存普及会』を立ち上げ、講習会や試食
会などを通して武蔵野うどん文化を花開かせたが、2000年11月、71歳の若さで旅立
たれてしまって惜しまれてならない。
後継者たちが『小平ふるさと村』で土日と祭日に『小平糧うどん』の店を営業している。
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Commented by ふうさん at 2007-08-02 23:54 x
武蔵野手打ちうどん保存普及会の加藤先生・・・ほんとうに懐かしい
お名前 このお写真を見て惜しい方・・・とつくづく思います。
鈴木忠司さんのおうどんも美味しいですね。加藤先生の後を引き継いでふるさと村で励んでいらっしゃる方がた・・・又食べたくなりました。鈴木忠司さんの絵も素敵ですね。今夜は良いお話を有り難う!
Commented by 小平のモグラ at 2007-08-03 21:44 x
ふうさんは本当に顔が広くて…ふうさんのお宅でも加藤先生
流の手打ちうどんを作られるのですか。
加藤先生に取材した年の大晦日、おせち作りに追われてい
る時、ピンポ~ンとチャイムが鳴って、年越し用の手打ちうどん
を息子さんが届けに来てくれびっくり!
そういうお人柄でしただけに忘れられません。
私は仲町図書館の隣の関根にも時々食べに行きます。おだ
んごも美味しいですよね。
Commented by cheeryc at 2007-08-03 21:44 x
アメリカ人宣教師ご夫婦がコロラドから遙々小平に来られていた
大昔、加藤先生と、とても親しくしておられ、お話をよく聞きました。アメリカへ帰国された後に加藤先生の訃報を聞いて、
その悲しみを私宛に書いてよこされました。とても印象に残って
います。落ち込みようが見えるようでした。
知らない國に来た外国人にも温かく親切だった
加藤先生は、心の大きな、みなさんから惜しまれた優しい方だった
ことをとても強く感じていました。

ご自分の生徒(大学生)さんにも、おうどんを笑顔で振る舞って
おられたお姿を、私はテレビで拝見した記憶があります。


Commented by 小平のモグラ at 2007-08-03 21:52 x
cherryさん、私も加藤先生がゼミの生徒さんたちに
手打ちうどんをご馳走しているテレビを見たことがあります。
同じ番組だったかも。
小平市の姉妹都市・北海道の小平町から表敬訪問された
方々にも、加藤家でうどんを振舞っておられ、私もご相伴に
あずかりましたっけ。本当に人寄せを気軽にされる博士で
した。
Commented by おくさま at 2007-08-03 22:58 x
小平のモグラ さん
またまたとても懐かしい加藤先生のお話・・・・・
ニコニコしてお話なさる先生を思い出しました。
本当に、気さくな博士でしたね!
手打ちうどんは、「天候や気候で塩加減と水加減を微妙に変える」
と聞きました。    
私の母(kikue)も手打ちうどん&そばは得意でした。
思い出します・・・・・
手打ち!○○は、やはり真心がこもってますから・・・・
食べたいな!
Commented by 小平のモグラ at 2007-08-03 23:25 x
まあ、昨年でした亡くなられたおくさまの母上も、手打ちうどん
がお得意だったのですか。たしか山梨県にお住まいでしたね。
山梨では年配の主婦はホウトウを作るのが得意で、私の夫の
母親もよく作ってくれました。
でも、関西うどんで育った私はホウトウは苦手でした。
今の年齢なら口に合うかも…。
Commented by cheery at 2007-08-04 16:42 x
鈴木忠司さんの記事が写真入りで読売に以前載っていた事を思い出しもう一度コメントさせて戴きました。自転車に画材を乗せて歩いているところで、あぁ、あの方だって直ぐ分かりました。市役所を
定年になって、絵を描いておられるご様子、鎌倉橋、小松橋近く
で素敵な絵を描いておられるのを時々お見受けします。
by love-letter-to | 2007-08-02 20:46 | レクイェム | Comments(7)

忘れ得ぬ人々&道草ノート折々


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