忘れ得ぬ人々& 道草ノート

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ノコギリは歌う

       ◇ ノコギリから哀愁をおびた音色が!◇

大工道具のノコギリで『浜辺の歌』や『アメージンググレイス』などの美しいメロディを演奏するなんて、考えられますか?

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刃渡り15~20センチくらいある西洋ノコギリを“ミュージカル・ソー”と称して、腰掛けた両膝で柄をはさみ、ノコギリの刃をしならせながらチェロの弓を当てると…信じられないような妙なる音色が!

ヨーロッパの絵物語や映画で樵(きこり)が手にしている幅広のごついノコギリ。木工細工でピノキオの人形をこしらえたゼベット爺さんもあるいは使ったかもしれない。

       ◇ 独学で身につけたノコギリ演奏の草分け ◇
10年あまり前のことだった。西洋ノコギリで哀愁をおびた、心に染み入るように澄んだ音色の演奏を聴かせて下さったのは、元都立小平養護学校校長の加藤寛二さんだ。小平市学園西町の加藤先生の自宅で初めて、その演奏を耳にした時の驚きと感動も私の財産である。ビブラートを利かせた音色はフルートより甘く、ヴァイオリンよりせつなかった。
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国分寺駅前に本拠を置いていた富士福祉事業団が「愛の文明を築こう!」というスローガンを掲げて、1992年から毎年開催していた『福祉・ボランティア全国交流大会』のオープニングに加藤さんがノコギリ演奏をすると聞いて、信じられない面持ちで加藤家を訪ねたのだった。

ノコギリ演奏は1930年代のアメリカで始まり、その音色に心を打たれ、日本の草分けとされる故高島巌さんは1935年頃にミュージカル・ソーをアメリカから取り寄せ、独学で演奏を身につけた。

 ◇ 児童福祉とノコギリ音楽 ◇
児童福祉のパイオニアでもあった高島さんは、家庭に恵まれない子供たちの福祉施設の園長を務めていた。冷たい刃物のノコギリでさえ素敵な“歌を歌う”。虐待などでいじけたり、粗暴になっている施設の子供たちも本来の力を発揮して、きっと素晴しい“歌を歌う”日が来るに違いない。「そのように育てるのが大人の役割だ、愛の力だ」と、児童福祉とボランティアに78年の生涯を奉げた人である。ノコギリ演奏にも心を込めた。f0137096_238845.jpg

その高島さんの三女鞠子さんと結婚した加藤さんは、結婚式で岳父が演奏するノコギリ音楽を初めて耳にしてしびれた。そして高島さんから1丁のノコギリをプレゼントされた。当時、小学校の教員をしていた加藤さんも手探りでノコギリ演奏の練習を始めた。

その後、心身にハンデを持つ児童の養護教育に携わってきた加藤さんは、子供たちの前でヒュ~ンとノコギリ演奏を始めると、目が輝き、その集中力が手に取るように感じられた。ミュージカル・ソーの音色が心をときめかすらしい。つとめて演奏をするようになり、演奏にも磨きをかけたという。加藤さんのノコギリ演奏は数多くの児童生徒の目を輝かせたとも言えよう。
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      ◇ 10年ぶりに届いた招待状 ◇
その後、私は定年で職場を去り、加藤さんが小平養護学校校長を最後に定年を迎えた後も、生涯教育の場や各地の施設でボランティア演奏を続けておられることを風の便りで耳にすることはあっても、接する機会はなく月日過ぎて行った。ところが、2006年の7月半ばに加藤さんから突然、分厚い封書が我が家に届いた。

中には『高島巌没後30年と加藤寛二喜寿感謝記念コンサート』の招待状、その後の活動記録などが入っていた。8月2日に府中の森芸術劇場でコンサートが開催されるという。

10年近いブランクにも関わらず、かつて『ノコギリは歌う』と題して私の書いた記事の反響や加藤先生のノコギリ音楽に対するエッセーなども添えられていた。多摩地域の週刊新聞の一紙面が遠く宮崎県都城市の子ども療育センターの関係者たちの手に渡り、加藤先生のノコギリ演奏会も同市で開かれたそうだ。
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一地域紙の記事と言えども、地域に留まらないことに恐ろしく感じ入った。また、加藤先生がその記事のことを心に留めていて下さったことにも胸が熱くなった。

8月2日夕6時半から開かれたコンサートもメーンタイトルは『ノコギリは歌う』で、かつての記事の見出しが、すっかり“市民権”を得たようで嬉しかった。

この日、加藤先生の膝のノコギリは、次男・さんのピアノ伴奏で一段と艶をおびて『浜辺の歌』『この道』を“歌い”始めた。叙情歌の哀調に会場はたちまち虜に。実さんの力強いピアノのタッチと対照的なノコギリのビブラートで『アメージンググレイス』『枯れ葉』も素晴しかったけど、私は『津軽のふるさと』に一番感激した。

美空ひばりのレパートリーだった歌謡曲だが、あの熱唱をノコギリが歌うと、北国の厳しい風土が一層深く迫ってくるのだった。人の肉声のようでカウンターテナーで歌っているように聴こえた。f0137096_2321748.jpg

   ◇ 心に残る喜寿コンサート ◇
この日は養護学校や障害者施設、ボランティア団体の関係者も沢山参加して同窓会のようだった。車椅子での参加者も多かった。岳父と2代して児童福祉と障害児教育に尽くし、ノコギリ音楽で愛の心を育んできた加藤寛二さんに相応しい喜寿のコンサートだった。

さらに、20年近く寝たきり状態だった鞠子夫人が奇跡的に回復され、会場にも見えられたのも、ノコギリ音楽の力かもしれない。心に残るコンサートだった。
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by love-letter-to | 2008-03-02 23:24 | 人間万歳! | Comments(8)
Commented by kikue1017 at 2008-03-03 21:16
モグラさん
同期会に行かれると伺っていましたので、その事のUPがあるかしら・・・と思いブログ尋ねましたら、違う記事!
「ノコギリは歌う」の話
私は、T・Vで演奏を聴いた事がありまして、「ノコギリで素晴らしい
音色が出るんだ~~~」と感心した事を思い出しました。

≪児童福祉と障害児教育に尽くし、ノコギリ音楽で愛の心を育んできた≫と言うお話は、素晴らしい方々ですね。
あの、ノコギリの音色を思い出しながら、素敵な生き方をされた
加藤寛二さんに乾杯ですね。
とても、興味深い記事を有難う御座いました。  Byおくさま
Commented by 小平のモグラ at 2008-03-04 16:32 x
おくさま、ただ今!郷里での同期会は卒業50年記念
とあって、前日ゴルフコンペや前夜祭、今年度の母校の
卒業式に列席した後、石鎚神社での古希の祈祷式、
同期会本番のパーティ、二次会、後日祭と盛り沢山の
イベントが組まれており、ゴルフコンペと後日祭以外は
参加してきました。
後日祭の代わりに翌日は四国最高峰の石鎚山ロープウェー
に乗って、積雪15センチくらいの展望台から生地西条の
町を見下ろしてきました。

いずれ何らかの形で母校関係者も『忘れ得ぬ人々』で
紹介できればと思っておりますが、当初予定していた
リストを消化するので精一杯です。
当初は最低限一年は続けられたら…と思っていたの
ですが、今月16日で満一年を迎えますので、少し延長戦に
なりそうです。…という訳で、同期会のことはお預けに
しておきます。
Commented by ふうさん at 2008-03-04 20:41 x
モグラさん こんばんは
加藤寛二さんののこぎり演奏を私も3回ほど聴かせていただきました。最初に聴いたときは、のこぎりからこんな素晴らしい音色がでるものか?と感動した思いです。
仕事の関係で加藤さんのご長男の誠さんご夫妻をよく存じていますし、一緒にお仕事をしたことも・・・いや今でも社協の仲間です。
息子様ご夫婦とは私の長女が子ども同士中学の同級生で、一緒に
PTA の役をしたような間柄です。
ほんとうにお父様ののこぎり演奏はすばらし・・の一言につきます。
Commented by cheery at 2008-03-04 20:45 x
モグラさん こんばんは
のこぎりで音楽を演奏する場面、私もテレビで観た覚えがあります。唯ののこぎりでどうしてあのような音が出るのか解りません
が、いろんな才能の持ち主がおられるのですね~
「のこぎりが歌う」とは人を引きつける流石に見事なタイトルだと
感心いたしました。新聞の大きな文字の見出しがどれ程だいじ
なことか、聞いたことがあります。後々まで話題になるほどの
ものもあるのでしょう?パッと浮かぶところがやはり詩心も
おありだからだと思いました。もう一年ですかホントに早いですね~~
Commented by 小平のモグラ at 2008-03-05 10:07 x
ふうさん、お早うございます!健康・福祉関係のお仕事に
深く長く関わっておられるふうさんにとって、加藤寛二先生
はお馴染みの方で、ノコギリ演奏も再三お聴きなっておら
れるからお分かりでしょうが、加藤先生のノコギリの音色
は単なる演奏家ではなく、慈愛に満ちてノコギリを愛おしそう
に膝にされる姿は本当に心を打ちますね。
素晴しい隣人が小平に住んでおられることが嬉しい。
ふうさんも社協に尽くしておられる素晴しい隣人です。
また、加藤先生の演奏を聴くことのできる機会には、
ブログ仲間の皆さんとご一緒したいです。
Commented by 小平のモグラ at 2008-03-05 10:23 x
cherryさん、グッドモーニング!今朝は黄砂で空が濁る
こともなく、太陽が輝いて気持ちも弾んでくるようです。
加藤寛二先生のノコギリ演奏は、本当にノコギリが歌って
いるように聞こえてきます。
2年前の加藤先生の喜寿コンサートでCDも求めたので、
時折り、聴いている私です。あの日、ピアノ伴奏をされた
次男の実さんはピアニストととして活躍されており、
庄野真代の9.11セプテンバーコンサートにも参加されて
いる方です。
Commented by ピカール・バブルン at 2012-09-26 19:23 x
高島巌さんと父は、昭和5年(1930)に財団法人中央社会事業協会(現全国社会福祉協議会)で一緒の職場でした。高島さんが主事で父の上司でした。毎年全国各地で開催された方面委員(現在の民生委員)大会の企画、児童虐待防止法の制定などで、高島氏をバックアップしました。母も同じ職場におり、高島氏が仲人役をつとめました。昭和11年に父がニューヨーク社会事業学校(現コロンビア大学社会事業学部)へ国費留学生に選抜された際に、高島氏が尽力されました。父は1年の留学後、軍需工場に徴用された為に、社会事業から一時遠ざかりました。戦後、「補聴器のリオン」に経営建て直しの為に、日本経営者団体連合会から送り込まれ、見事に再建に成功しました。3歳児の聴力検診や耳の日の制定に尽力しました。小生、昭和16年、国民学校1年生の時に、父の会社の社員演芸会で、高島巌さんのノコギリ音楽を聞きました。あの「不思議な音色」は今も耳の奥に響いています。[生涯一草野球人&歌の出前屋」
Commented by 小平のモグラ at 2012-09-27 10:52 x
ピカール・ばブルン 様
日本でのノコギリ音楽の草分けで、児童福祉と障害児
教育の先駆者であった高島巌氏については、その娘婿
であった加藤寛二先生から教わった私ですが、加藤先生の
ノコギリ演奏を初めて耳にしたのは、富士福祉事業団という
ボランティア養成講座の一環だったと思います。
国分寺駅南口に事務所があり、理事長の枝見静樹氏から
加藤先生を紹介されました。もう30年近く前、枝見さんは
がんと闘いながら、ボランタリズムを日本に根付かせる活
動に邁進しておられました。枝見さんとピカールさんの父上
・三澤泰太郎氏もご懇意だったようです。
かれこれ40年近く、地域の取材をしておりますと、人との
つながりがどんどん広がると同時に、不思議な巡り合わせ
に胸が熱くなることばかり。リオンの社長時代の三澤さん
(さん付けで気安く呼べない存在ですが)にも、抱えきれない
ほど多くのことを教わりました。本当はこの『忘れ得ぬ人々』
シリーズに登場して頂くべきなのですが…。
              ビビアン・モグラより。