忘れ得ぬ人々& 道草ノート

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百草画荘の善太郎画伯

          ◇ ワインカラーのルパシカにベレー帽 ◇
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梅はおろか葉桜のシーズンになってしまったが、梅が開花する頃になると、故小島善太郎画伯を懐かしく思い出す。梅の名所として知られる百草園の真向かいに住んでおられた。小島邸の庭園も百草園に劣らず見事な景観で、初めて訪ねた時は紅白梅が咲き香っていた。

「ここは背後の斜面が北風を遮って、冬でも天候のいい日は温かくて庭で写生をするのが日課」と、善太郎翁はルパシカ風のビロードの上着に同じワインカラーのベレーをかぶって、鉛筆を走らせていた。「ワァッ~!凄くお似合いで、ファッショナブルですね」と目を見張ると「そうかね。ファッショナブルかね」と小島翁は子供のように喜ばれた。
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日本の初期洋画界に革新をもたらした『独立美術協会』の創立メンバーで、当時、米寿を迎えておられたが、創作意欲で奥まった目がランランと燃えていたのを昨日のことのように思い出す。

 ◇ アトリエで極楽気分 ◇
30畳以上はあろうか、天井の高い広々としたアトリエに足を踏み入れた途端、展覧会場にいるような気分になった。三方の壁はサムホールから100号あまりの大作で埋まっていた。

処女作「村の娘」、安井曽太郎に賞賛され大正展覧会で受賞した「四ツ谷見附」、在仏時代にサロン・ドートンヌ展にて入賞した「パリ郊外」から近作まで、アトリエで直接拝見する幸せに浴した。“セザンヌのリンゴ”に対して“善太郎の桃”と言われるくらい、桃の絵では比類ない画家で、近作には桃の傑作が多かった。f0137096_1013774.jpg

「僕はね、画が自分の履歴書だと思うから、殆どの作品を手元に置いて、毎日眺めて自分を駆り立てているんですよ。十数年前の作品に筆を入れることもある」。その果てしない探究心は暗く重苦しい生い立ちによって培われたという。

 ◇ 暗く重苦しい青少年時代から ◇
善太郎翁によると明治25年に淀橋(現在の新宿副都心街)で生まれ、農業から転じた父親の商売が上手くいかず自棄酒で酒乱と化すのを、母親と弟妹で恐る恐る耐え忍んで育った。尋常小学校を終えると浅草の醤油屋で丁稚奉公に出ることになった。

雑用や注文取り・配達にも追われたが、売掛金の集金がことにつらかったという。谷中の墓地へ逃げ込んでは涙を乾かし、母親や弟妹の顔を思い浮かべて心を奮い立たせる日々だった。

ある日、両足を踏ん張って無心に木立を描いている男と出会った。周囲とは隔絶して絵に没頭していた男の姿に圧倒されて、「画家になろう!どんなことがあっても画家になる」と善太郎少年は自分に誓った。小学生が使うような粗末な絵の具と画帳を買い、わずかな時間でも絵筆を握ると配達や集金の労も救われたという。

          ◇ 絵を描くことが人生の全て・パリも微笑 ◇
「その少年時代の決心は揺らぐことはなかったのですか」と訊ねると、「絵を描くことで私は地獄から救われ、中村覚・陸軍大将や野村徳七・野村證券創始者の温かい支援も受けてパリで勉強をする幸運にも恵まれました。絵を描くことが人生の全てです」と、きっぱり。
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大正12~14年にかけて在仏中はルーブル美術館に通い、イタリアルネサンス期の画家ティントレットの300号の大作『スザンナ』の模写に励んだ。「さすが美術の都パリ。私のような東洋から来た画家の卵でも模写を許可され、心行くまで研究をさせてくれた。パリが私に微笑してくれた」と、小説よりもドラマテッィクな善太郎翁の話は尽きることがなかった。

後に『独立美術協会』を創設するきっかけとなった佐伯祐三里見勝蔵らと親交を結んだのも刺激になり、画家の登竜門であるサロン・ドートンヌ展に在仏日本人の中でいち早く入賞して自信を得たそうだ。

          ◇ セザンヌのように地方に住んで ◇
帰国後は新進画家として目覚しい活躍をするが、セザンヌのように中央画壇の派閥争いや“政治闘争”には背を向けて多摩に引きこもり、ひたすら自分の画に向かい合ってきたという。孤高の画家とか画壇の異端児とも言われてきただけに、この日のインタビューを喜ばれた。

「先生は何故、桃の絵をよく描かれるのですか?」「あの柔らかな質感と微妙で豊潤な色彩が私を魅了して、もっと美味しそうに描きたい。ジューシーに描けないものだろうか…と、寝床の中でも考え、翌朝が待ちきれない」と上機嫌で、恒子夫人手作りのお昼もご馳走になった。
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          ◇ 大音響で叱られた日も ◇
しかし一度、善太郎画伯に大音響で怒鳴られたこともある。1982年10月にオープンした立川駅ビル開設記念展として『小島善太郎・卆寿記念展』の開催準備中のことだった。私は実行委員会のメッセンジャー役として再三、百草丘陵の坂を上り小島画伯のアトリエに通っていた。

「あなたには失礼だが、朝日新聞社や駅ビルから何故、展覧会の責任者が一度も顔を出さないのか?これまで私の展覧会には美術館館長や主催デパートの重役が必ず足を運んでくれたのに…このままでは展覧会は取り止めだ!」と真っ赤になって、鬱積していた不満をぶつけられてしまった。
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「今回の先生の展覧会場の立川駅ビルはまだ建設中という特殊な事情で、10月1日オープンに向けて最後の追い込み段階なんです。完成させることが先決で250店舗のテナントとの調整にも責任ある地位の方は日夜追われて…、だから私のような下っ端記者が使い走りをしているんです」。心臓がオーバーヒートしそうになりながらも、私は諸事情を打ち明け説得に努めた。実は展覧会会場設営やポスターやチラシ、入場券などを含めると約1,500万円もの経費がかかり、その確保にも関係者は走り回っていたのだった。
          ◇ 青梅・小島善太郎美術館の建設にひと役 ◇
善太郎画伯も特殊な事情を納得されたようで、「あなたに済まないことを口にしてしまった」と、深々と詫びられた。後々、小島家のファミリーから「パパに頭を下げさせたのは、あなただけよ」と、語り草にもなった。ことに小島家の次女の敦子さんが私と同じ名前であったことも幸いして、末っ子のように可愛がってもらった。f0137096_10144927.jpg今春も梅の時期に百草園を訪ねる機会を逸してしまったが、梅の咲くシーズンになると、善太郎翁のあの剣幕に鼓動が高鳴る。この卆寿展がきっかけとなり青梅市立美術館の一角に『小島善太郎美術館』の建設が早まり大変喜ばれたことも懐かしい。

この卆寿展の2年後、善太郎画伯は92歳で他界された。存命中の最後の展覧会になっただけに思い入れも深い。
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by love-letter-to | 2008-04-14 10:15 | レクイェム | Comments(15)
Commented by ふうさん at 2008-04-14 12:26 x
モグラさん こんにちは

先日は素敵なところに連れて行って頂きましてありがとうございました。
あの風・雨の中・・・でも私たちは風雨なんか何のその!でしたね
今日は百草園のそばにお住まいだった小島善太郎画伯のお話
読ませていただきまして感動しました。
百草園は梅が有名で何度がその時期に行きました。
梅は桜とは違った雰囲気で華やかさはないが、一輪ずつの梅の花は心をとらえてくれる、私の好きな花です。
先生がお描きになった桃 アッと思わず叫びたい気持ち!
美味しそうに描けていますね。

今度また連れて行って頂けるところ(青梅 小島善太郎美術館)が
増えましたね。どうぞよろしくお願いいたします。
いつもありがとうございます。
Commented by 小平のモグラ at 2008-04-14 20:37 x
ふうさん、コンバンワ!
先日は生憎の激しい風雨の中をお付き合させてしまって、
本当にゴメンナサイ。
皆様の懐が深くて「こういう日の方が印象に残る」と
温かい言葉を頂き救われました。有難うございました。
百草の善太郎先生には、こっぴどく叱られましたが、
それが絆を深めてくれたようで、後々、作品も数点頂いて、
我が家の家宝にというより、私の支えになってくれています。
小品ですが、いずれも素晴らしいので何時かお見せしたい
です。
Commented by cheery at 2008-04-15 23:20 x
モグラさん こんばんは

興味深いブログを拝見させて頂きました。
子供の頃の苦労が小島善太郎画伯に粘り強い精神を育て
上げたのでしょう。素晴らしい一生で羨ましくもあります。
突然、凄い剣幕で怒鳴られて、若いモグラさん、どんなにか吃驚
されたことでしょう。でも画伯はモグラさんをそんなに信頼して
おられた証拠ですね。一番近いものに当たる気持ち分かります。
素晴らしい本物の絵を見たいものです。
Commented by 小平のモグラ at 2008-04-16 00:15 x
cheeryさん、コンバンワ!
毎度、心のこもったコメントをありがとうございます。
それなのにモグラはお名前を1年以上も間違えていて
「穴があったら入りたい」と言っても、モグラって穴の中で
暮らしているのだから、逃げ場がないのですね。
先日もsato65さんからのコメントをcheeryさんからだと
早合点して恥をかいたばかり。誤字脱字に加えてハヤトチリ
のうっかり婆さんです。

小島善太郎先生の絵は19世紀後半のいわゆる後期印象派
的な絵で、コンテンポラリーではないけれど、ひたむきさが
滲んでいます。モグラは叱られて好きになったみたい。
叱ってくれる人にも出会えて幸せでした。
Commented by tomo at 2009-12-28 19:34 x
はじめまして。
小島善太郎の作品は、デッサンがきちんとしていて、見ていてとても気持ちいいですね。
1点だけ指摘させてください。ページ中段に掲載されています「ナポリの老婆」は、画像が“裏焼き”です。サインをご覧になるとすぐにお気づきかと思いますが、「Z.Kojima」が左右反対になっています。すみません、気になったものですから。
Commented at 2012-07-21 11:32 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by love-letter-to at 2012-07-22 21:50
田中泰子様、初めまして。
もう4年も前に掲載した「百草画荘と小島善太郎画伯」の
ブログに目を留められ、コメントを頂きびっくり。有難う
ございます。
善太郎先生がお気に入りで、大変よく似合っておられた
ルパシカ風の上着を亡き姉上が縫われたそうで、驚いて
おります。24歳の若さで亡くなられそうで、何と申し上げ
ればいいのか、ご愁傷さまです。
姉上が小島敦子先生の教え子であられたそうですね。
敦子先生は80代になられましたが、お元気で今も着物
姿で車を運転、忙しくしておられます。
来春には百草画荘が日野市の小島善太郎記念館として
オープン予定です。田中様のことを明日にでも、敦子先生
にお伝えします。私の名前も敦子です。
Commented at 2012-07-24 08:11 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by love-letter-to at 2012-07-26 20:53
田中泰子 様
猛暑、熱帯夜が続いておりますが、体調は如何ですか?
田中さんのHPを拝見致しました。朗読活動をされておられる
そうで、公演会に一度参加したいと思っております。
数日前、小島敦子先生にお電話をしましたら、善太郎先生の
恩人の中村覚閣下のお孫さんがお見えになっている最中で
したので、後日、ゆっくり電話を差し上げることになりました。
姉上は敦子先生のお洋服も縫っておられたそうですね。
来春の小島善太郎記念館開館準備で大変お忙しくして
おられるようで、今週末に再度お電話をしてみます。
Commented at 2012-07-30 07:39 x
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Commented by love-letter-to at 2012-08-03 20:08
田中 泰子 様
コンバンハ!猛暑が続いておりますが、お変わり
ありませんか?
小島敦子先生に泰子さんと姉上のことを手紙で
お知らせしましたら、とても喜んでおられて、電話を
欲しいとのこと。042-591-2964です。
泰子さんのブログからコメントを送ろうとしたのですが、
アメーバID登録が必要でしたので、この通信欄から直接
お伝えしておきます。取り急ぎ。
小島敦子先生は来春の百草画荘公開に向けて、とても
お忙しくしておられますけど、お電話を差し上げて下さい。
Commented at 2012-08-08 23:05 x
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Commented at 2012-08-10 11:14
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2012-11-08 23:21 x
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Commented by love-letter-to at 2012-11-09 17:11
田中 泰子 様
兄上とご一緒に百草画荘を訪ねられて、
小島敦子先生と懐かしの邂逅を果たされたそうで、
本当によかったです。40数年ぶりだとか。
その場の楽しい雰囲気がメールから伝わってきました。
敦子先生はお若い頃と同じように、話し方が
可愛かったでしょう。
昨年秋、善太郎先生ご夫妻を偲ぶ会にも、
教え子の方たちが参加されていましたが、
敦子先生の方が甘えていたみたい。
秋の穏やかな陽射しがグッドニュースを運んで
来てくれました。

来春、百草画荘が一般公開される折には、
私も訪ねたいと思っております。田中さんご兄妹
とも、お目にかかれるかもしれませんね。
兄上にも宜しくお伝え下さい。 ブログがお役に
立てて何よりでした。      小平の敦子より