忘れ得ぬ人々& 道草ノート

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多摩の植物散歩 その②

           ◇ 早トチリとトンチンカン ◇
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ある時、向かいのデスクの横田部長が「ケーリがね…」と、声をかけてきた。一瞬、「経理の清算が間違っていたのか」と早トチリした私は、「経理のキクちゃんが珍しく電卓でも打ち間違えたのかしら」と、気のない返事をしてしまった。

「その経理でなく、ケーリさんが久しぶりに上京することになって、明日会うことになったんですよ」と、横田部長は私のトンチンカンぶりいささか気をそがれてしまったらしいが、嬉しくて黙っていられない顔つきだった。

ケーリなんて気安く呼ぶから経理と早合点してしまったが、当時、同志社大学の名物教授オーティス・ケーリさんで、『太平洋の生還者』を読んで以来、一度お会いしたい方だった。
           
ケーリさんは“ALWAYS3丁目の夕日”の時代頃、新聞や雑誌によく登場し、日米比較文化論についての対談やエッセーは軽妙洒脱で、私には憧れの文化人だった。

           ◇ べらんめえ調の日本語に度肝を抜かれ ◇
横田部長によるとケーリさんはアメリカでも名門のアーモスト大学在学中に海軍に入隊して、太平洋諸島を転々とした後にニーミッツ司令部情報部員としてハワイの捕虜収容所で日本兵から情報を収集する特殊任務についていた。f0137096_19542558.jpg

ケーリさんは1歳の時に宣教師の父親と来日。幼少年時代を日本で送っているので日本語の読み書きができる要員として、ハワイの捕虜収容所で特殊任務に。そこでグアムで投降し捕虜となった横田兵士と出会ったのだ。「階級順に並べ!上等兵、伍長、軍曹、少尉…大佐、元帥、おっと元帥はいねぇか」と、べらんめえ調で捕虜たちの度肝を抜いたのがケーリ中尉だった。

捕虜とその管理をする立場、国力をかけて決死の戦いを続けている日米の立場を超えて、ハワイの捕虜収容所ではマル秘のグループが啐啄の時を迎えようとしていた。「両国と両国民のために一時も早く戦争を終わらせたい」という一念だけで、ある作業に勤しんでいた。 (啐啄=雛が卵の殻を嘴でつつくこと)。

           ◇ ハワイ捕虜収容所での親米派 ◇
日本人より日本語に通じ、近松門左衛門や松尾芭蕉など古典から現代文学まで研究対象とし、三島由紀夫作品など数多く英訳。英語圏への日本文化の紹介・解説者として知られるドナルド・キーン・コロンビア大学名誉教授もハワイで特殊任務についていた。f0137096_1956940.jpg

戦争末期、日本本土でもB29からばら撒かれた“早期戦争終結”や“ポツダム宣言受諾”を呼びかけるアジビラを記憶している方もいるだろう。私自身は九段下の『昭和館』で目にしたと記憶している。その宣伝ビラを作成していたのがケーリさんと横田さんら親米派捕虜だと聞いている。

ケーリさんやキーンさんらと横田さんら一部の親米派捕虜との結びつきは、戦後も交流が続けられており、『バリバリ会』と称して1年に1回交流会を開いてきたそうだ。


           ◇ 実は私の亡父もグアム生還者 ◇
実は私の亡父もグアム島で捕虜となり、ハワイの捕虜収容所にしばらく収容されていたが、満杯状態になり米本国の収容所に送られて、綿摘みなどの強制労働に従事した後、昭和22年の1月に日本へ送還された“生還者”の一人だった。父も戦地や捕虜収容所時代のことは黙して語らずの大正生まれだった。ただ、コーヒーとステーキが大好きで81歳で他界するまで愛していたことから察すると、親米派に近かったのではないだろうか。

そんな父親を持つことからも、ケーリさんと横田部長の『バリバリ会』には関心があって、原稿の締め切りにヒーヒー追われながらも、横田部長が“ケーリ”と口にすると引きずり込まれるのだった。

                ◇ セピア色の3冊 ◇
しばらくして、横田部長が出社してくるなり、厚い紙封筒を私の机にポンと置いて「興味があったら読んでごらん」と、言い残して取材に出かけたことがあった。中には『ジープ奥の細道』と『日本の若い者』『日本開眼』の3冊が入っていた。
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いずれも昭和25~28年に相次いで出版されており、頂戴した時には既に出版後30年以上も経って、表紙もページもセピア色に変色していた。もちろん絶版になって久しかった。

3冊とも著者はオーティス・ケーリさんになっているが、加筆監修というより横田部長との共同執筆と言った方が相応しい。ことに『ジープ奥の細道』は戦後間もない昭和24年9月、手に入れたばかりのおんぼろジープに新婚のアリス夫人と生後半年のベスことエリザベスちゃんを乗せて、京都からケーリさんの生い育った北海道を目指してロングドライブした紀行文である。

           ◇ ケイトねえちゃんとロングドライブ ◇
f0137096_2064176.jpg生後半年の乳児ベスちゃんを同行させるなんて「そりゃ無茶だ!」と、非難ごうごう。“ケイトねえちゃん”と名付けた進駐軍ご用済みのジープがとんでもないおんぼろで、エンコ続きの上に、当時の日本は幹線道路も穴ぼこだらけ、未舗装部分も少なくない。

芭蕉が奥の細道をたどった時代から220年後とはいえ、日本のローカルは古き時代の慣習を頑固に留めており、目の青いケーリさん一家は行く先々で“見世物”さながら。しかし人情機微に触れながらのドライブはお腹がよじれてしまうほど可笑しく、日本人の特性を浮き彫りにしている。現代にも通じる日米比較文化論が語られている。

横田部長はロングドライブの一部を同行取材しており、「原稿料はケーリと折半。お互いにOK」と握手してさっぱりしたものだったとのこと。

           ◇ 愛用のループタイをプレゼントされ ◇
ケーリさんと横田部長の共同執筆3冊の他に、私は愛用されていたループタイも頂いた。横田部長の送別会の数日前のことだった。f0137096_209775.jpg

ベンガラ色の木彫りの梅は棟像志功の手彫りだそうだ。志功が世に出る以前、居候をしていた市川・式場隆三郎邸のお嬢さんたちにプレゼントした帯止めをループタイにリフォームしたもので、精神病理学者で芸術にも造詣の深い隆三郎博士の妹が横田部長の奥様であった。「女房があなたに使ってほしいと言っている」と横田部長から手渡された。お礼の言葉に代えてひたすら大事に使っている。時を経るにつれ津軽塗りの輝きが増しているように思う。
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by love-letter-to | 2008-05-13 20:13 | レクイェム | Comments(7)
Commented by cheery at 2008-05-14 11:07 x
モグラさん 冷たい雨になりましたね~
おかしな気候・・・北海道の方が暖かいとは。

凄い物をお持ちなんですね~~驚きました!絵だけでなく
こんなお洒落な物も(棟方志功)作られたのですね。強い近眼で
顔をピッタリくっつけて制作に励んでおられた姿を思い出します。
信じられないほどのお値打ち物で愛用されていた物を
モグラさんへ差し上げる気持ちは、もうそれだけで充分伝わる
感じがしました。私だったら勿体なくて使用できないことでしょう。

[ジープ奥の細道]も楽しそうな本ですね~。外国の人は生後
間もない赤ちゃんを平気で長い旅行に同伴しますよね。
私も昔、知人が生まれたばかりの赤ちゃんをアメリカから旅行に
連れて来られて、大丈夫かと心配したことがありました。
その子も最近結婚したそうで、時の流れを感じます。

Commented by 小平のモグラ at 2008-05-14 21:36 x
5月も半ばに入ったのに肌寒い日が続いておりますが
cheeryさん、その後、お風邪の方は大丈夫ですか? 

棟方志功のペンダント付きループタイのことは自慢話に
受け取られるかもしれませんが、亡き横田正平さんの
ために書かずにはいられませんでした。
奥様が娘時代から大切にされてきた帯留めを、ループ
タイにリフォームして愛用されていたもので、私なんか
頂いていいものかどうか…未だに自信がないの。
でも、そのことを記録しておきたかったのです。

黒やチャコールグレーのセーターによく合うので、
ペンダント代わりに使わせてもらっています。

ケーリさんて本当によきアメリカ時代のアメリカ人で、
変色して読みにくいけど、『ジープ奥の細道』には、
ケーリさんとキリスト教精神を土台にした精神文化
が漂うと同時にエスプリとユーモア精神にあふれて、
人間の素晴らしさを見直します。いい本に出会った
と、横田部長に感謝感謝です。
Commented by ふうさん at 2008-05-20 11:17 x
モグラさん
おはようございます
昨夜からの雨(台風)が少しやみ、今やっと少しゆっくりした気持ちでモグラさんの ハヤトチリ トンチンカン 『ジープ奥の細道』
を楽しく、しかも味深く読ませていただきました。
トンチンカンの様子は私もよくあることできっと若い記者さんで皆様に可愛がられた様子がうかがわれてほのぼのとしました。
横田部長さんとケーリーさんのこと、当時のことが考えられ、
素晴らしい先を見られたインテリな方たちだったと・・・そしてその方
たちと、一緒にお仕事をされたモグラさんのお人柄、優秀さがわかります。
又面白い楽しいお話聞かせてください、ありがとうございました。
Commented by 小平のモグラ at 2008-05-20 12:34 x
ふうさん、お早うございます!
昨夜からの風雨が嘘のように晴れ上がってきました。
露滴のしたたる草木や花はまた素晴らしいですね。

早とちり、トンチンカン常習者のモグラですが、ふうさんも
お仲間だと知って嬉しいわ!
当時の横田部長からは“うっかりミセス”だと呆れられて
おりました。でも『ジープ奥の細道』など3冊も頂いて、
私は幸せです。ケーリさん一家の道中記は復刻したいくらい
今の日本と日本人に素晴らしい示唆をしてくれています。
“反省反省”と口にしながら、ちっとも反省なんかしてない。
過去を教訓になんてお題目に過ぎないとも。
ちょっと耳が痛いけど、ケーリさんは本当に率直で日本を
愛し理解しているアメリカ人でした。一昨年の6月にアメリカ
で亡くなられたそうです。横田さんとケーリさんを追悼するために
必死で記憶を糸をつなぎ合わせて綴りました。
コメントを有難うございました。
Commented at 2012-04-05 13:04 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2012-04-05 13:13 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by love-letter-to at 2012-04-07 00:14
前澤 猛様
初めまして!オーティス・ケーリさんの「日本の若い者」の
復刻を計画されておられるそうで、嬉しい!
同書には今日の日本のハチャメチャぶりが予測されている
ように思います。
昨年9月17日にBS TBSで放映された「ドナルド・キーン先生の
特集番組」でも、制作プロダクションからケーリさんの本を借りたいと依頼があり、お貸ししました。ハワイの捕虜収容所時代の
キーン先生とケーリさんのことが知りたかったそうです。
番組でも「日本開眼」の中の写真がボケボケながら、流され
ました。タイトルロールに協力者として私の名前も記されていました。本当に横田正平部長には沢山のことを教わりました。
そのことが、今になってやっと分かりました。
ぜひ、今後とも経過をお知らせ下さいませ。
ご連絡有難うございました。 中込 敦子