忘れ得ぬ人々& 道草ノート

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2008年 02月 10日 ( 1 )

馬上の兵士から手渡された一幅の軸

       ◇ 大戦中の北京郊外で ◇
日野市に住んでおられた黒田世志子さんから一幅の掛け軸の持ち主を探したいと相談を受けたことがあった。昭和16年、日中戦争から太平洋戦争に拡大した直後、北京郊外で前線に移動する部隊を見送っていた列に近づいてきた馬上の兵士から手渡されたそうだ。
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「君に預けるよ」と軍服の下に隠し持っていた細長い包みを黒田さんに手渡して、その兵士は走り去ってしまった。咄嗟のことで名前を聞く余裕もなく、軍の機密に関することで部隊の行き先も知ることはできなかった。受け取った薄鼠色の風呂敷を開けてみると、「休戦三日 踊れ月下の 敵味方」と力強い筆跡で句が書かれていた。

地紋の入った絹地で表装してあり、よほど大事にしていたものと思われた。その兵士の筆によるものか、戦地に赴く時のはなむけに持たされたものか知る由もなかった。しかし、記されている俳句は「休戦には敵味方なく踊れ」と明らかに反戦の意が汲み取れる。前線に向かう兵士が所持していては処罰間違いない。

敗戦直後、黒田さんは託された掛け軸を行李の一番下に隠して大連から引き揚げ船に潜り込んだ。引き揚げ先の祖母宛に送った行李13個のうち、届いたのは1個だけだった。が、奇跡的にもその行李に兵士から託された掛け軸が入っていたのは、幸運だった。

       ◇ 戦後40年を経て・・・ ◇
戦後の混乱期には掛け軸のことなど省みる余裕がなかったが、戦後40年近くなり、黒田さん自身70代半ばに差し掛かって、その掛け軸のことがしきりに気になってしょうがない。

長く古文書の研究をしておられた小平市の松田銀治さんに、右隅に書かれてある書名と落款を判読してもらったところ、署名は「聴秋」と読み取れ、素晴しく切れ味のいいスケールの大きな句で「相当な俳人の作だろう」とのことだった。

ボロボロになってしまった表装も専門家に依頼してお化粧直したので、作者に関する情報を得て、できれば持ち主かその縁のある方を探し出したいと黒田さんは切望していた。
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しかし、40数年も前、中国大陸での出来事である。馬上の一兵士の身元など探し出すのは、砂丘から一粒の砂を選び出すよりも難しい。黒田さんには気休めの言葉もかけられなかった。

    ◇ 尋ね人探しに朗報 ◇
ところがである。その記事を紹介した紙面が配布された昭和59年7月14日の翌日、立川市の古美術商店主からかなり自信に満ちた声で電話がかかって来た。「聴秋は恐らく花本聴秋でしょう。本名は上田肇と言い、花本流派の11世宗匠で明治~大正期に京都の俳壇で重きをなした俳人の一人です。しかも孫にあたる上田都史さんが八王子市に住んでおられます」とのことだった。

「うっそ~!ほんと~ォ!」と飛び上がらんばかりのホットニュースだった。上田都史さん自身俳人であり、『俳人山頭火』『人間・尾崎放哉』などの俳句評論や随筆でも著名で、裏高尾に長年住んでおられた。奇遇というか、この馬上の兵士から託された軸の数奇な運命の糸に眠れないほど興奮してしまった。

数日後、古美術商の案内で黒田さんと一緒に裏高尾の上田家を訪ねた。小仏川支流のほとりの住まいは、いかにも文人の隠れ家といった簡素だが風情のある平屋であった。
       ◇ 句の作者子孫と対面 ◇
「一昨年、家内に先立たれた男寡の独り暮らしですから、行き届きませんが…」と通された玄関の三和土と板の間には焼き〆の大小の壷が無造作に転がり、通された座敷の書棚には書籍がぎっしり。当時上田都史さんも喜寿を迎えられていたが、痩身長躯のダンディな紳士だった。
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上田さん自身が所蔵していた祖父花本聴秋の短冊の一枚にも、「十年のうらみも忘れ初日の出」と、旅順開城を詠んだ句があり、作風も署名も「休戦三日…」の軸に酷似していた。上田さんの記憶にある聴秋は全国に門人がおり、ひんぱんに旅をして先々で色紙や軸を書き、生活の糧にしていた。

黒田さんが馬上の兵士から手渡された軸装も、そうした一枚だろうとのこと。「持ち主に返したい気持ちも尊いが、『預けるよ』と言ったのは戦場で灰にしたくなかったからでしょう。
また、戦地にあっても平和を愛する気持ちを持ち続け、馬上から黒田さんに手渡した時に戦う兵士に自分を駆り立てて行ったのではないか…」と、斟酌された上田さんの横顔は忘れ得ない。人生観の奥深さに打たれてしまった。

       ◇ 戦火をくぐり抜けた掛け軸は菩提寺に ◇
馬上の兵士の意志を大事にしてきた黒田さんへの最高の言葉の贈り物だったと思う。そして私にも言葉の持つ力、五七五に託された人生の襞にこの頃になって熱くなっている。その後、黒田さんはその軸装を兵士へ弔いとして自身の菩提寺に納めたとのこと。「休戦三日…」の句は戦火をくぐり抜け、戦後の混乱期も経てやっと安住の地にたどり着いた。
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その後、黒田さんからは音信が途絶えて消息は分らないままになっているが、あの日の帰りに見た小仏川支流の眺めは、私の目に焼きついて離れない。
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by love-letter-to | 2008-02-10 15:57 | レクイェム | Comments(7)