忘れ得ぬ人々& 道草ノート

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カテゴリ:小平の原風景求めて( 66 )

道草ノート:捨て猫ホームレスその65

            小 川 新 田 開 拓 創 始 者 の 墓 地
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      秋彼岸の入りを前に、上水堤でも彼岸花が赤々と燃え始めた。吾輩はソクラテス
      …いや捨て猫ホームレスは今回は小川新田の開拓を手掛けた小川九郎兵衛の
      墓を訪ねてみた。
      青梅街道小川三叉路の東近くにある小川寺境内、墓地入口の一角にひときわ高く
      方石や蓮華座を積み上げた五輪塔型の墓石の下に、九郎兵衛安次が眠っており
      小平市の史跡に指定されている。

      説明盤によると九郎兵衛は元和8年(1622)武州多摩郡岸村(現武蔵村山市)の出
      身で、徳川幕府によって承応3年(1654)に玉川上水、翌承応4年に野火止用水が
      完成して水の確保に見通しがつくや、明暦2年(1656)新田開発と馬継場の開設を
      願い出て小川分水の開削を許可されたそうだ。

      玉川上水が開削される以前は茅薄笹類の生い茂る無人の荒野で、青梅奥多摩方
      面から江戸市中に石灰などを運ぶ人馬には箱根ヶ崎~田無宿間約5里20キロは
      恐怖の難所とされていたとか。
      当時の九郎兵衛は34歳、原野開拓を希望する人は少なく自費で農民を住み着か
      せて開発を進めたが、馬継場は20年後の記録では荷馬157頭が荷役に従事して
      いたそうだから、開拓促進と生活安定の両面で大きな役割を果たしたのではないだ
      ろうか。馬継跡は現在の平安院の西側~府中街道だとされている。

      新田開拓のリーダーとして明確なビジョンを持ち馬継場の基礎を確立させた手腕の
      持ち主だった九郎兵衛は、寛文9年(1669)に家督を婿養子に譲り、岸村の旧宅に
      戻って、同年暮れに48歳で他界。吾輩には“政権交代”も鮮やかだだったように思
      われる。出身地武蔵村山市岸の禅昌寺にも墓が設けられているそうだ。下記の通り
      65回でもって「小平の原風景を求めて」シリーズは最終回に。で、今回は吾輩たち
      の大好きなシロヤマギクとフジバカマとのおしゃべりを。
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by love-letter-to | 2009-09-17 10:26 | 小平の原風景求めて | Comments(8)

道草ノート:捨て猫ホームレスその64

             延 命 ・ 子 守 地 蔵 菩 薩
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       白露を迎え秋の趣ひとしおの侯。吾輩捨て猫ホームレスも心寂しくなって路傍
       に建てられている子守地蔵や延命地蔵を巡ってみた。

       まずは青梅街道・花小金井6丁目バス停近くの小さな祠の中に、赤い頭巾と半纏
       に前掛け姿の愛らしいお地蔵さんが祀られている。台座を除けば50センチほどで
       子守地蔵または秀五郎地蔵と呼ばれている。
       200年ほどの昔、文化文政時代に付近の子供を集めては面白く遊ばせていた浅
       田秀五郎という無類の子供好きがいたという。秀五郎は一生妻帯せず「死んだら
       地蔵にしてくれ。子供を数多くの災難から救いたいから」と言い残して没した。

       甥に当たる浅田勘兵衛は秀五郎の遺言通り文久3年(1863)にこの地蔵を建立し
       たと伝えられている。この地蔵の前で子供の交通災禍が度重なっても、不思議に
       かすり傷も負わずに済んだことから誰からともなく「子守地蔵」と呼ばれるようにな
       り、花を供えてお参りする人が絶えないようだ。千羽鶴が祠を埋めていたことも。

       近代に至るまで農村地帯であった小平一帯では、一家の子供数は多くても食は
       貧しく医療は乏しく、死産や夭折する子供も少なくなかったに違いない。
       路傍に散在している延命や子供の健やかな成長を願って建てられた地蔵尊の前
       を通るたびに、吾輩捨て猫ホームレスにはそうした時代背景が呼び戻されてなら
       ない。
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       今回は上水堤でいま目を引く金水引とクコの花を。
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by love-letter-to | 2009-09-10 20:59 | 小平の原風景求めて | Comments(0)

道草ノート:捨て猫ホームレスその63

               秋 葉 神 社
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       歴史的な政権交代劇に続く台風11号通過の余波で、前日との気温差が10度
       前後も上下した数日。朝夕は肌寒く感じられる日もあって、吾輩捨て猫ホーム
       レスには今年の夏は短かく感じられた。夏草に代わって開花し始めた秋の花
       を追って上水堤を喜平橋から下流へ。
       小金井橋近く海岸寺境内に隣り合っている秋葉神社前で、「あれッ!灯篭が
       建っている!」

       ウナギの寝床ような敷地に奥まっている秋葉神社の入口に、一対の灯篭が修
       復されていた。よく見ると台座など一部分は古いままで、かなりの年代ものらし
       い。ここ十数年は灯篭はなかったように記憶しているので、最近、再建された
       のではないだろうか。

       『郷土こだいら』『こだいらの文化財めぐり』にも秋葉神社の由来は不詳となっ
       ているが、灯篭の古くからの台座には「講中」「安政三年辰」と刻まれ、この当
       時寄進者を募って灯篭が建てられたと推測される。
       安政3年(1854)と言えば江戸末期、安政元年から2年にかけて東海、南海、
       江戸市中にマグニチュード6.4~8.4の大地震が相次いで、『安政の大地震』
       と総称されている。

       安政2年10月2日に起きた江戸市中の大地震では死者4,000人以上と記録
       され壊滅的な被害を受けたことから、この付近一帯の新田でも火難除けの神
       とされている秋葉神社を勧請したのではないだろうか。
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       台座の周囲には是政新田、関野新田、貫井新田、下連雀、境村など地域別に
       寄進者100名近い名前がずら~りと刻まれている。
       今回は秋の七草に数えらている葛と女郎花の花を。
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by love-letter-to | 2009-09-03 19:09 | 小平の原風景求めて | Comments(2)

道草ノート:捨て猫ホームレスその62

                石 塔 が 窪
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       残暑がひと休みしていた日、吾輩捨て猫ホームレスも秋めいた風に誘われ、
       小平の開拓創始者小川九郎兵衛が幕府の許可を得て明暦2年(1656)最初
       に鍬入れをしたとされる窪地を訪ねてみた。
       青梅街道と旧鎌倉街道が交わる地点から北へ100メートルほどの地点、か
       つては大きな石塔が建っており『石塔が窪』と伝承されている。確かに青梅
       街道から緩い下り坂にはなっているが、それらしき目印も痕跡もなく吾輩は
       途方に暮れてしまった。

       伝承によると、江戸末期までこの地には秩父青石のかなり大きな板碑が建っ
       ていたが、府中の六所祭りの神輿かつぎに参加した若衆たちが酔った勢いで、
       その板碑を担ぎ出し、毎年担ぎ運んでいるうちに久米川宿の古刹・正福寺参
       道付近まで移動されてしまったとか。

       参道入り口を流れる小瀬川に、その石碑を渡して何と石橋代わりに使用して
       いたんだって!お誂え向きだったのだろう。碑銘が水面に映るので経文橋と
       か念仏橋と呼ばれていたそうだ。
       時代は下って昭和初期に橋の改修をしたところ、板碑は動かすと疫病が流
       行るという言い伝え通りに周辺で赤痢が流行!で、法要を営み正福寺境内
       に保存堂を設けて懇ろに収めたそうだ。
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       その板碑は高さ2.85メートル、幅55センチ、都内で最大で『貞和の板碑』と
       して東村山市の有形民俗文化財に。同市ふるさと歴史館に原寸大の複製が
       展示されているのを吾輩も確かめて来たんだ!
       今回は初夏から咲き続けているクサノオウと秋口に咲く山芹を。
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by love-letter-to | 2009-08-27 14:32 | 小平の原風景求めて | Comments(2)

道草ノート:捨て猫ホームレスその61

             屋 敷 墓
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       8月恒例のお盆休み、64年目の終戦記念日も終えて夏もピークを越えたよう
       に感じるが、日中の陽射しはギンギン!我が輩捨て猫ホームレスも夏休みを
       終えて上水堤へ。蝉の大合唱は五日市街道の車の騒音を掻き消さんばかり
       の大音響だ。まるで蝉の“第九合唱団”みたい!

       小平市立第三小の西側、五日市に面してささやかな生垣に囲まれた墓地があ
       る。お寺や霊園などの埋葬墓地でなく屋敷墓とか内墓といわれ、小平市内で
       は旧回田新田と上鈴木新田集落にしか見られないという。集落内に寺院がな
       かったためとも言い伝えられているが、実際にそこに埋葬したケースと埋め墓
       は別にあって参り墓を屋敷内に設けたケースがあるとのこと。

       常日ごろ先祖にお参りすると同時に、屋敷や畑、子孫の安寧を祈願するため
       に屋敷の一角に設けたらしい。吾輩捨て猫ホームレスがこの屋敷墓を訪ねた
       時には宝暦年間の墓石もある前には夏菊などの花が飾られており、かつての
       風習が受け継がれているのが伝わって…。

       回田町内にもう一カ所屋敷墓が残っているが、周囲の宅地化でこの先どうな
       っていくのだろうか。今回は樹陰や夕闇に開花する花を。
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by love-letter-to | 2009-08-19 07:03 | 小平の原風景求めて | Comments(0)

道草ノート:捨て猫ホームレスその61

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by love-letter-to | 2009-08-11 20:42 | 小平の原風景求めて | Comments(3)

道草ノート:捨て猫ホームレスその60

             上鈴木新田(現上水本町)の半鐘
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       八月に入っても不安定な大気が続いているが、小平周辺では幸いにも水害や
       崖崩れがなく、吾輩捨て猫ホームレスも上水の緑陰で道草歩きを。
       小松橋右岸から「いろりの里」駐車場を経て五日市街道に達する直前で旧家
       の屋敷森を見上げたら、火の見櫓らしい鉄塔の上に半鐘が!五日市旧道と現
       在の五日市街道が交わる地点で、高さ4~5メートルの位置に直径50~60セ
       ンチぐらいの半鐘がぶら下がっていた。青銅色をして年代を経た貫禄がある。

       鉄塔の立つ旧家に尋ねたら、14代目だというご当主は「この辺りが鈴木新田
       上鈴木と呼ばれたお祖父さんの時代からあったようですが、少なくとも30年あ
       まり使われたことはない」とのこと。それ以上詳しいことは???

       小平消防署でも市の防災安全課でもこの半鐘は記録になかったが、「小平ふ
        るさと村」に同じような半鐘があるという。吾輩捨て猫ホームレスには大遠征
       になってしまったが「小平ふるさと村」の消防小屋へ。その脇に上鈴木のと同じ
       ような大きさの半鐘が下がっていた        
       小平の消防に関する記録によると貞享元年(1684)12月の村決めで、村内に
       番所が設けられたのが防災組織の始まりで、明治22年(1889)に誕生した小
       平村には小川消防組など6つの消防組が組織され、大正時代には新田単位
       でなく19部制の小平村消防組に。この時に19 部として上鈴木にも消防組が
       誕生したようだ。

       昭和年代に入り消防器具などの整備は進んだが、戦時体制が強化される中で
       消防機能も組み込まれて防空訓練が主になり、防災上、半鐘は供出を免れ残
       っているのではないかと…。
       「小平ふるさと村」の消防小屋と半鐘は小川新田山家組(現喜平町)に配備され
       ていたもので、明治~昭和初期に製作されたそうだから、上鈴木の半鐘も同時
       代のものかも…。他の防災組の半鐘の存在はうやむやだが、お寺に納められ
       ているケースもあるようだ。
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       寺院などの釣鐘は通常は青銅を鋳造して作られ、大きさから梵鐘・半鐘・喚鐘
       に。分類については諸説あるが概ね口径約30cm以下は喚鐘、55cm~70cm
       が半鐘、半鐘より大型のものを梵鐘というそうだ。今回は山の芋とオニドコロの
       花を。
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by love-letter-to | 2009-08-04 19:44 | 小平の原風景求めて | Comments(2)

道草ノート:捨て猫ホームレスその59

             上水ちゃんの痛ましい水死事件
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       暦の上では一年で最も暑いとされる大暑を迎えた。この10年間の東京・名
       古屋・大阪・福岡の主要4都市における35℃以上の日が計335日と1967~
       76年の3倍近くに。このため夏日(1日の最高気温が25℃以上)と真夏日(同
       30℃以上)に加えて35℃以上の日を2007年以降「猛暑日」とすることになっ
       たそうで、吾輩捨て猫ホームレスにとって上水堤の緑陰は猛暑日の駆け込み
       寺になっている。

       西武国分寺線・鷹の橋~新小川橋間の新堀用水で約100メートルが暗渠に
       なっており、街路との境界にコンクリート製の台座のようなものが20ほど設置
       されているのが前々から気になっていた。台座の底辺は60~70センチ、高さ
       も70センチ位で上部に防護柵を取り付けた跡が残っている。

       付近に詳しい「小平市玉川上水を守る会」事務局長の庄司徳治さんが保存し
       ている資料によると、昭和41年2月1日、この台座の並んでいる付近の新堀用
       水に2歳の男児が転落し、翌日、水死体で発見されたそうだ。母親が買い物中
       に用水脇の空き地で遊んでいて、笹や草藪に覆われていた水路に誤って落ち
       たらしい。

       当時の水深約1メートル、水量も多く、しかも用水掘の中央部6カ所に井戸のよ
       うな半径3メートルの穴が開いており、容易に発見できず痛ましい事故がおきて
       しまった。鷹の台駅近くのこの付近は住宅が急増している時代で、砂川市外6ヶ
       用水路水利組合から危険防止策の要望書が提出され、急遽、小平市で台座と
       防護柵を設けて、その後暗渠工事がされたようだ。

       男児の名前が悲しいことに上水ちゃん。玉川上水沿いの景観に惹かれていた両
       親はその後移転したそうである。今回は上水堤を薄紫の花穂で彩っているヤブラ
       ンとヒメヤブランを。
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by love-letter-to | 2009-07-28 00:02 | 小平の原風景求めて | Comments(2)

道草ノート:捨て猫ホームレスその58

              石 橋 二 ヶ 所 供 養 塔
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       いよいよ明日22日、日本でもトカラ列島悪石島付近で今世紀最長といわ
       れる皆既日食が観測され、小平周辺でも最大食度0.749前後の部分日
       食が見られるそうだが、晴天率は30%…。吾輩捨て猫ホームレスも皆既
       日食に伴う不思議な現象を体感できるのではないか期待しているのだが。

       今回は先週の鈴木分水の先を追ってみると、宅地や畑地で暗渠になって
       いる部分もあるが、鈴木稲荷神社境内で開渠となり、その先の鈴木街道
       沿いでも30メートルほどかつての分水の姿を。

       その堀の脇に赤い前掛けをかけた馬頭観音、供養地蔵など5体の石仏が
       並んでいた。最も大きな一体の正面には「石橋二ヶ所供養塔」と彫られ、左
       側面には「左 こくぶんじ ふちゅう」と彫られて道標も兼ねていたようだ。
       エッツ!左が国分寺・府中方面?と、吾輩は一瞬方向感覚を失い頭をひね
       ってしまったが、かつての鈴木街道はこの道標の位置から左に折れて南進。
       玉川上水・五日市街道方面へ向かっていたのだ。

       どうりで鈴木稲荷神社の大鳥居と参道が現在の鈴木街道ではなく、回田中
       通りの路地に面しているんだ。刻印からすると寛政十二年(1800)十一月造
       立で、庚申の文字も刻まれており、石橋供養と道標、庚申塔を兼ね今でいう
       多目的建造物なんだね。鈴木街道は通称で正式には東京都道132号小川
       山田無線。喜平橋から西東京市内青梅街道・橋場交差点まで。
       今回はもう花の盛りを過ぎてしまったが優美な山百合と、対象的な路傍の花
       露草とのおしゃべりを。
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by love-letter-to | 2009-07-21 17:57 | 小平の原風景求めて | Comments(6)

道草ノート:捨て猫ホームレスその57

            鈴 木 分 水 親 水 エ リ ア
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       本日14日11時、気象庁から「関東甲信地方は梅雨明けしたとみられる」
       と発表され、玉川上水堤でも夏本番を告げる山百合が優雅に咲き始めた。
       我が輩捨て猫ホームレスから見ると、上水堤では最高に美しく最大の花で
       その芳香にもうっとり。残念なことに山百合の中でも最高の場所で最高の
       花数をつけていた株が、数日前に根元から鋭い刃物でバッサリ切り取られ
       てしまった!

       憤りとやるせない気分に陥りながら、今春改修工事をされた鈴木分水の親
       水エリアへ。小平団地の東門付近で回田道と分岐する地点から80メートル
       ほどだが、かつて鈴木新田一帯(現在の鈴木町1~2丁目と花小金井1~3
       丁目、御幸町)に導かれた水路両岸が丸太と板壁で補修され、遊歩道も設
       けられて、吾輩の頬をなでる風も心地よく感じられた!

       鈴木新田は徳川八代将軍の時代の新田開発政策の一環により開拓された
       新田の一つで、水路図によると鈴木分水は桜橋下流で新堀用水から分水さ
       れ、鈴木街道に沿って南北に水路が掘られ全長約8キロ。享保19年(1734)
       に完成した土木遺産だ。

       水路は途中で2手に分岐しており、その分岐点の仕組みも観察できて本日
       の道草は学習効果も。小平市内には開拓以来の分水路が約55キロも残っ
       ているそうで、おいおい水辺が甦り、その冷却効果に期待して今回はのっぽ
       の野草タカトウダイとチダケサシを。
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by love-letter-to | 2009-07-14 22:24 | 小平の原風景求めて | Comments(2)