忘れ得ぬ人々& 道草ノート

ankodaira.exblog.jp
ブログトップ

<   2007年 06月 ( 4 )   > この月の画像一覧

最後の醤油絞り

あかしあ通りと青梅街道の交差点に近い吉田家では、昭和60年代まで自家製の
醤油を作っていた。恐らく最後の醤油絞りになるだろうと聞いて見学したのは昭和
63年4月のことだった。

その数日前に訪ねたら、当主の吉田艸楽(そうらく)さんは大きな甕に仕込んであ
るモロミの蓋を開けて見せてくれた。蒸した大豆と炒って砕いた小麦に種麹、水、
塩を混ぜ合わせたモロミを通常は1年寝かせて絞るが、吉田家では2年寝かせて
絞っているとのこと。

「そうすれば、市販の醤油のようにカラメルで色をつけなくても濃い醤油の色が出
るんだよ」と艸楽さん。当時80歳だった。家業の畑仕事は長男夫妻にバトンタッチ
していたが、モロミのお守り役は艸楽さんの日課だった。「1日に1回底からかき混
ぜてやらないと黴が出てきたり、膨張して甕からあふれ出してくるんで、さぼれねぇ」
と話していた。

いよいよ醤油を絞る日がやってきた。昭島市の小川里司さんがフネという昔ながら
の醤油絞り器や火入れの釜一式を運んで来た。フネは木の四角い風呂桶ぐらい
の大きさで、レバーを回して圧力をかける万力がセットされている。

フネという醤油絞り器を始めてみた。使い込まれ、ピカピカに洗い磨かれていた。


小川さんは元々自家製の醤油作りのためにフネを特注して、農業の副業として近
隣の農家の醤油絞りも請け負うようになった。昭和30年代頃まではモロミを仕込
んでいる農家が多く、1日に2~3軒かけもちで回り、一年中休む暇がなかったと
いう。

40年代以降はさすがに醤油絞りの仕事は急速に減って、農家でも全国ブランド
の工場製醤油を使うようになってしまった。「昔はその家の醤油の味があってね」
と小川さん。

艸楽さんが2年間もお守りをしてきたモロミを片手鍋で大胆にすくって、厚手の木
綿袋に満たして口を閉じフネに横積みにしていく。その積み上がった袋の上に落
とし蓋をして、小川さんが渾身の力で万力のレバーを回すと、圧力がかかる仕組
みだ。

フネの底に開けた口から、生醤油が最初はチョロチョロ、やがてトクトクと流れ出
してきた。これが一番絞りだ。

木の盥で受けた生醤油を釜に移して、薪でトロトロと温めると、アミノ酸の匂いとい
うか醤油特有の香りが辺りに立ち込め、胃袋を刺激してたまんない。香りを嗅い
だだけで生唾がゴックンとなった。

沸騰させると折角の味も香りも飛んでしまうから、火入れも注意が必要だ。火入
れは殺菌と保存に欠かせない。こうして沸騰寸前で火からおろして自然に冷ます。
冷めてから1升壜に詰めると、これぞ正真正銘の無添加の醤油が誕生する。

木綿袋に残ったモロミ滓に水を加えて、同じ工程を繰り返した二番絞りも塩分が
多少きついが、味や色はほとんど変わらないそうだ。「煮炊きにするには二番絞り
がいいと言う人も」と艸楽さん。

吉田家の甕は1石仕込みで、一番絞りと二番絞りを合わせて1升壜に80~90本
出来上がる。最近ではとても家族で使いきれないので、親類に分けたり、吉田家
の醤油ファンもいるとのことだった。

小川さんは「私も70歳を越して、力仕事もきついやね。今年で醤油絞りの仕事も
最後かな」とポツリ。そのホッとしたようで、一抹の寂しさを浮かべた顔が忘れられ
ない。
f0137096_23121676.jpg

f0137096_23124062.jpg

f0137096_2312565.jpg

醤油は海外でも人気が高まりグローバル化している一方、日本では調味料の消
費ナンバー1の位置を数年前に“だし醤油”に取って代わられたそうだ。
[PR]
by love-letter-to | 2007-06-23 23:00 | レクイェム | Comments(8)

ワンちゃんの家庭教師

ワンちゃんと言っても犬のワンちゃんで、その“家庭教師”をしている副田里佳さん
とも30年来のお付き合いになる。

エッツ!犬の家庭教師?と驚くかもしれないが、結構必要とされているんです。
ペットというよりコンパニオンとして犬を飼っても、やたら吠えてご近所からクレームが
きたり、ペットショップであまりにも可愛いので衝動買いして甘やかして育てたために、
成犬になって持て余したり…。

犬も飼い主も高齢化して、散歩に連れ出せないケース。ペットをめぐる“老々介護”
問題もいろいろありで…。

最近は犬猫が飼えるマンションも増えてきたが、共同住宅だから制約も多い。が、
ワンちゃんには人間が取り決めた制約なんか通じない。つまりは飼い主のマナーの
問題だが、その飼い主が犬猫より始末が悪い場合もある。

そのワンちゃんの家庭教師として活躍している里佳さん。現在は4歳児のママになっ
ているが、彼女は中高生時代に『警察犬の訓練選手権大会』で連続ジュニアチャン
ピオン
になった。

当時、里佳ちゃんがSit!Heel!と可愛い声で指図すると、身長150センチの彼女
よりはるかに大きく精悍なドイツシェパードのアンゲラが、座って足元にピタリと寄り
添い素直に次の指示を待っていた。f0137096_1039152.jpg

Go!と合図すればアンゲラは立ち上がって前進、Turn!と言えば里佳ちゃんの指先を見て左に回ったり、右にターンする。人差し指一本でドイツシェパードを思いのままに行動させる小柄な少女に驚いた。その里佳ちゃんをまるで“母親”のように慕い、忠実に従うアンゲラだった。ちみにアンゲラはドイツ語で、英語のエンジェルとのこと。

エンジェルのイメージには程遠い真っ黒なシェパード犬が何故?可愛いんだろうか。「私も最初はシーズーやスコッチテリアなど愛玩用の室内犬を飼っていたんですが、可愛がるだけでは物足りなくって…。その点、大型犬は動きがダイナミックで学習意欲が強く、知恵比べするみたいで躾ける喜びも大きいの」と里佳ちゃんは話していた。

高校卒業後、埼玉県入間郡にある日本訓練士養成所へ2年間毎日、国分寺市から通った。朝6時の訓練所の担当犬の排便に間に合うように家を出て、夜8時の排便まで済ませて帰宅するハードな日課にもめげなかった。

その後、ジャパンケンネルクラブと日本警察犬協会の試験にも合格して、世界大会の
日本代表にも選ばれたことがあるベテランの訓練士だが、家庭で家族同様に飼われ
ている犬を住宅事情や飼い主のライフスタイルに合わせて訓練してみたいと、里佳
ちゃんは10年ほど前に“犬の家庭教師”という新しい道を選んだ。ワンちゃんと飼い
主がより仲良く暮らすために、家庭犬訓練士の道を切り拓いたというべきかもしれない。
f0137096_23402963.jpg

「里佳ったら、昨夜も犬のお産に徹夜で立ち会って朝帰りなんですよ」と両親をハラハラさせながらも、犬の家庭教師さんはモテモテ。口コミであちこちの飼い主から「共働きで毎日犬の散歩ができない」「夫婦とも年をとり、犬も年寄りになって散歩にも犬のクリニックにも連れていけない」などなどSOSの電話がかかってくる。

まるで犬の110番みたいな里佳ちゃんだったが、同じ犬の訓練士と結ばれて、4歳児の母親となった今日も、互いに育児や家事をやりくりして犬の訓練大会にも子連れで参加をしたり、審査員としてテレビ出演もしている。

里佳さんの父親は世界有数のツィター奏者・河野保人さんだが、そんな父親のこと
は全く口にせず、独自の道を歩んでいる。容姿は中高時代のイメージのままの里佳
ちゃんだが、犬と飼い主を指導しているきびきびした口調に、さすが!と声援を送って
いる私です。
f0137096_23322927.jpg

[PR]
by love-letter-to | 2007-06-16 23:41 | 人間万歳! | Comments(6)

『月の砂漠』と『みにくいアヒルの子』

寅さんの口上を借りれば、“生まれも育ちも瀬戸内地方の伊予西条市。石鎚山の
霊峰から発する地下水を産湯に使い、瀬戸の魚で育った私です”。

西条市は紀州藩分家の城下町であるが、昨年のNHK紅白で『千の風になって』を
歌って以来、一躍有名になったテノール歌手秋川雅史の出身地といった方が通る
かもしれない。

その西条市立神拝(かんばい)小学校に入学したのは昭和21年4月。敗戦後初め
ての小学校新入生で、記念写真を見ると先生と女子はもんぺに下駄履きか藁ぞう
りを履いている。

『二十四の瞳』と同世代の教科書もノートも満足にない小学校入学だったが、それ
以上に学校に通うこと、見知らぬクラスメートたちと交わることへの不安が私には
大きかった。

筋向かいに住んでおられた西原クマ先生の組の生徒でなかったら、登校拒否児に
なっていたに違いない。当時はお婆さん先生だと思っていたが、50歳前後の独身の女性教師だった。
f0137096_21224470.jpgそれまで生家の敷地から殆ど外に出たことがなかった虚弱児の私を心配して、毎朝、クマ先生に引率され、クマ先生の姪の正子ちゃんと一緒に登校した。今なら学校や教育委員会で問題視され、父母たちからもこっぴどく非難を浴びただろう。そういう意味ではおおらかな時代であった。

クマ先生と一緒に登校する生徒も次第に増えて、私も友達と次第に口をきけるようになったが、欠席の多い児童であった。

そんな私が2学期の学芸会で、6年生たちが踊った『月の砂漠』のダンスに魅せられてしまった。10人くらいの女生徒が白い布の上に厚紙で作った冠をかぶって、『月の砂漠』のレコードに合わせて踊る姿とロマンティックな歌詞は私を虜にしてしまった。

「先のくらには王子さま あとのくらにはお姫さま 乗った二人はおそろいの白い
上着を着てました…ひろい砂漠をひとすじに…」

そのダンス姿が寝ても覚めてもちらつき、ラクダの背に乗って広い砂漠を一筋に
行く王子とお姫さまを夢見て憧れた。

早速、図画の時間にこの『月の砂漠』のダンスシーンを描いた。遠き砂漠の王子と
姫物語を夢中で描いた。乱暴な描き方だったがクマ先生も級友たちもびっくりする
ほど褒めてくれた。教室の後ろの最も目立つ位置に貼り出されたことが自信をつけ
てくれた。こんなちょっとしたことが自信をつけさせ、やる気を起こさせることを身を
もって経験した。

真の教育とは知識学問を詰め込むことではなく、自信をつけさせ、やる気にさせる
ことだと思う。

その後、私には「絵は上手く描かかなければ…」というプレッシャーがなくなり、粗
末な紙の余白にも絵を描き、紙芝居まで作るほど凝ってしまった。その内の一編
アンデルセンの『みにくいアヒルの子』の紙芝居が手元に残っている。

当時の絵本を下敷きにはしているだろうが、絵もストーリーも私の創作部分が多い
ように思える。お世辞にも上手だとは言えないが、私のオタクぶりが伝わってくる。

掃除洗濯おさんどんに明け暮れ、父の仕事の関係であちこち転居もしたのに、亡
母が大事に保存しておいてくれ、私が50歳になった頃、不意に手渡してくれた。

赤茶けた目の粗い不揃いの紙に、まだ発色の悪い戦後のクレパスで描いた幼稚
な紙芝居を半世紀近くも保存していてくれたとは!その感謝の念は年を重ねるご
とに深くなっている。

描いた本人は忘れていたというより、全く記憶のかけらもなかったが、戦後の小学
校時代の思い出が鮮やかに甦って、西原クマ先生の顔も浮かんで懐かしい。「お
母さん有難う」「クマ先生有難う」。

f0137096_2124467.jpg

f0137096_2126414.jpg

f0137096_21271766.jpg

補足:昭和21年4月にはまだ旧制度の「国民小学校」であったが、昭和22年4月
からの6・3・3制教育制度の実施で「小学校」になったと記憶している。
[PR]
by love-letter-to | 2007-06-09 21:37 | レクイェム | Comments(8)

玉川上水堤のフェンスギャラリー

「アレッ、何でキャベツの葉が草むらに落ちているんだろう!」先日、玉川上水
商大橋付近の草叢で、薄黄緑色のキャベツの切れ端みたいなものが目に付いた。

気になって近づいてみると微かに震えており、さらに目を近づけると、その切れ端
の一方に真っ白な産毛を纏った“芋虫”さながらの蝶の胴体があるじゃん!

羽化したばかりの揚羽蝶で、羽をジワジワ広げると同時に紋様や筋が鮮明になっ
てくる。かなり大きな揚羽らしく羽は6~7センチ長さもあるが、細いススキの葉に
しがみついていた。
f0137096_21452320.jpg

こんなシーンに出くわすと、玉川上水両岸のグリーンベルトに自然がしっかり息づ
いている感激を新たにしてしまう。そして思い出すのは玉川上水堤で絵筆を走らせ
ていた画家・倉田角次さんの姿である。

「こうやってスケッチしている間にも、緑が見る見る増えていく」と、早春の上水で画
業に勤しんでいた。点々と若緑色を散らしたようなナラの幼葉、渋みがかったケヤ
キの新芽、淡白い花にも見えるクヌギの新緑…。

「これほどスケールが大きく、感動的な自然は世界にも類がない」と言う倉田さん
の言葉は、いささかオーバーに聞こえたが、16歳のとき日本を飛び出してハワイ
を皮切りに40数年間、28カ国を放浪してきた画家が太鼓判を押す玉川上水の雑
木林を見直した。

倉田さんによると「欧米の森林は殆どが常緑樹で、四季の変化に乏しい」。春の新
緑、夏の緑のブラインド、秋にはそれぞれが特有の色に紅葉。冬の裸木の木立が
また一本一本表情があり、武蔵野の落葉樹林はドラマティック!だと。

近代水墨画の大家で、元文展の審査員だった父・小室翠雲に背いて倉田さんは
洋画を志し、勘当同然でハワイ総領事館に勤める叔父の元へ身を寄せたのが反
抗期16歳の時だった。

「大家の息子だからと期待されるのが重荷で、水墨画の伝統技法にも反発して自
由に描きたかった」そうだ。ゴッホやセザンヌ、マネー、モネなど後期印象派の画に
も憧れていた。

ハワイ大学付属ハイスクール卒業後、叔父の転任でパリへ。ソルボンヌ大学美術
学科で学ぶ一方、藤田嗣治画伯に師事するなど目映いばかりの履歴だが、「自分
の画を求めて遍歴を重ねたに過ぎない」という。

その果てに肺結核を患い、50代半ばでボロボロになって帰国した倉田さんは「再
び絵筆を握ることはできないだろう」と、落ち込んでいた時期もある。

死線を越え散歩が許され近くの玉川上水を訪れた時、「40年間自分が求めていた
自然に初めて出会った!」という。玉川上水によって開眼し、倉田さん独自の幻想
的な画法を生み出した過程は、私如きには理解できないが、薄もやを通して浮かび
上がってくる上水の流れと木立は、名画の回想シーンをイメージして和んでくる。

油絵の具を使っているが日本画以上に日本画らしいとも思う。反発した父翠雲の資
質も大いに受け継いでおり、血は争えないものだと翠雲門下生からも言われていた。

初めて倉田さんの存在を耳にしたのは、玉川上水のフェンスに絵を展示している
画家がいるという口コミだった。路上で絵を売っている素人画家の一人かと思っていた。

そう伝えると、「フフフ…、あの頃、昭和50年代終わり頃は病気上がりでスッカラカン
でね。画廊を借りるお金もありませんでした」という倉田さんだが、ファンが一人二
人…と増え続けて、内外で個展も開催され絶賛を浴びた。

私が自著『玉川上水』の連載でお会いした昭和60年代半ばには、美智子妃殿下(当時)
もファンのお一人だと伝えられ、その後、皇室にも作品が収められた。

珠玉の作品を数多く遺して倉田画伯が他界されて10年近くなるが、玉川上水を歩く
たびに倉田さんの絵がオーバーラップしてくる。
f0137096_21462171.jpg

〈追記
追記:玉川上水の茂みで目にした羽化したばかりの揚羽蝶だと思っていたのは、オオミズアオという鱗翅目ヤママユガ科の蛾で、体長10センチにもなると、知人からメールが届きました。
羽の色は淡い青磁色で胴体は真っ白な毛で覆われ、まん丸な黒目と櫛型の触覚など特徴のる蛾だそうです。
学名のアクティアス・アルテミスは、ギリシャ神話の月の女神アルテミスからつけられたもので、そう言えば青い月を連想させ神秘的な姿でした。それをキャベツの葉っぱの切れ端だなんて俗っぽい表現をしてお恥ずかしいかぎりです。
図鑑によるとモミジ,ザクロ、アンズ,サクラ,ウメなどバラ科,コナラなどのブナ科,カバノキ科などの樹木の葉を食糧にして、市街地の街路樹にも生息しているそうです。

[PR]
by love-letter-to | 2007-06-03 11:02 | レクイェム | Comments(6)