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    玉川上水堤とその周辺の草木の花を訪ね、定期観察を始めて5年目になりました。
   …と言っても週に1回程度、往復4キロ程度の怠け者観察ですが、それでも450種近い
   花に出会いました。名前はもちろん全く見覚えのない花の数々との出会いに心がときめ
   き、それらの名前や習性、ルーツなどを図鑑やインターネットで悪戦苦闘しながら調べ
   ることで、いつしか草木の花に顔見知りが増えて、上水堤は私の野草学園に。ミリ単位
   の花を撮ることにも悪戦しますが、花から教わることばかりでした。

   人との付き合いと同じで、顔見知りが増えると何かホッとするじゃありませんか。草木
   の花も名前を知っているとより親近感を感じます。
   アラセブンともなると頭の記憶装置はかなり磨滅していますが、歩くたびに未知との出
   会いがあり、私の日々を潤してくれています。これからしばらくは、玉川上水堤とその
   周辺を道草歩きしながら出会った草木の花や風景を575に託してみたいと…。

   上のフォトは群れ咲くゲンノショウコに寄ってきたツマグロヒョウモンの雌のようです。
   今年の夏は蝶との出会いも何故か多くて…下の画像は右からアカボシゴマダラ、キチョ
   ウ、ヒカゲチョウ。画像をクリックすると拡大できます。f0137096_1530231.jpgf0137096_15332590.jpgf0137096_1052854.jpg
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by love-letter-to | 2009-09-30 15:43 | 道草フォト575 | Comments(0)
        オータム ジョイント コンサート ’09へのお誘い
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    今春のゴールデンウィーク、自宅で「オープンガーデン&ピアノコンサート」を開いて
    楽しませて下さった柴山たづ子さんが指導をしておられる女声コーラスなど、4つの
    合唱グループのジョイントコンサートが上記の通りルネこだいら中ホールで開かれ
    ます。
    たづ子さんはご主人のお仕事の関係で10年近く住んでいた南ア・ヨハネスブルグで
    ボランティアで老人ホームなどでピアノコンサートを開いたり、日本人仲間のコーラス
    指導を。
    帰国後も南ア時代の仲間から声がかかり、2年前から月に一度自宅でレッスンを続け
    て「プロティア・コーラス」を結成。都内のあちこちからメンバーが集まるのは月に1度が
    せいぜいで練習は充分とは言えないそうですが、仲間と顔を合わせ、コーラスを楽しん
    でいるそうです。
    オープンガーデン&コンサートに参加されなかった方もぜひど~ぞ!
    なお、プロティアはギリシャ神話に登場する自分の意志でその姿を自由に変えられる
    神プロテウスに由来。オーストラリア、南アフリカ原産の巨大なアザミに似た花を咲か
    せます。南アフリカのシンボル的な存在で現在も南アフリカ共和国の国花に指定され
    ています。
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by love-letter-to | 2009-09-22 18:34 | エクスプレス | Comments(0)
            小 川 新 田 開 拓 創 始 者 の 墓 地
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      秋彼岸の入りを前に、上水堤でも彼岸花が赤々と燃え始めた。吾輩はソクラテス
      …いや捨て猫ホームレスは今回は小川新田の開拓を手掛けた小川九郎兵衛の
      墓を訪ねてみた。
      青梅街道小川三叉路の東近くにある小川寺境内、墓地入口の一角にひときわ高く
      方石や蓮華座を積み上げた五輪塔型の墓石の下に、九郎兵衛安次が眠っており
      小平市の史跡に指定されている。

      説明盤によると九郎兵衛は元和8年(1622)武州多摩郡岸村(現武蔵村山市)の出
      身で、徳川幕府によって承応3年(1654)に玉川上水、翌承応4年に野火止用水が
      完成して水の確保に見通しがつくや、明暦2年(1656)新田開発と馬継場の開設を
      願い出て小川分水の開削を許可されたそうだ。

      玉川上水が開削される以前は茅薄笹類の生い茂る無人の荒野で、青梅奥多摩方
      面から江戸市中に石灰などを運ぶ人馬には箱根ヶ崎~田無宿間約5里20キロは
      恐怖の難所とされていたとか。
      当時の九郎兵衛は34歳、原野開拓を希望する人は少なく自費で農民を住み着か
      せて開発を進めたが、馬継場は20年後の記録では荷馬157頭が荷役に従事して
      いたそうだから、開拓促進と生活安定の両面で大きな役割を果たしたのではないだ
      ろうか。馬継跡は現在の平安院の西側~府中街道だとされている。

      新田開拓のリーダーとして明確なビジョンを持ち馬継場の基礎を確立させた手腕の
      持ち主だった九郎兵衛は、寛文9年(1669)に家督を婿養子に譲り、岸村の旧宅に
      戻って、同年暮れに48歳で他界。吾輩には“政権交代”も鮮やかだだったように思
      われる。出身地武蔵村山市岸の禅昌寺にも墓が設けられているそうだ。下記の通り
      65回でもって「小平の原風景を求めて」シリーズは最終回に。で、今回は吾輩たち
      の大好きなシロヤマギクとフジバカマとのおしゃべりを。
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by love-letter-to | 2009-09-17 10:26 | 小平の原風景求めて | Comments(8)
             延 命 ・ 子 守 地 蔵 菩 薩
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       白露を迎え秋の趣ひとしおの侯。吾輩捨て猫ホームレスも心寂しくなって路傍
       に建てられている子守地蔵や延命地蔵を巡ってみた。

       まずは青梅街道・花小金井6丁目バス停近くの小さな祠の中に、赤い頭巾と半纏
       に前掛け姿の愛らしいお地蔵さんが祀られている。台座を除けば50センチほどで
       子守地蔵または秀五郎地蔵と呼ばれている。
       200年ほどの昔、文化文政時代に付近の子供を集めては面白く遊ばせていた浅
       田秀五郎という無類の子供好きがいたという。秀五郎は一生妻帯せず「死んだら
       地蔵にしてくれ。子供を数多くの災難から救いたいから」と言い残して没した。

       甥に当たる浅田勘兵衛は秀五郎の遺言通り文久3年(1863)にこの地蔵を建立し
       たと伝えられている。この地蔵の前で子供の交通災禍が度重なっても、不思議に
       かすり傷も負わずに済んだことから誰からともなく「子守地蔵」と呼ばれるようにな
       り、花を供えてお参りする人が絶えないようだ。千羽鶴が祠を埋めていたことも。

       近代に至るまで農村地帯であった小平一帯では、一家の子供数は多くても食は
       貧しく医療は乏しく、死産や夭折する子供も少なくなかったに違いない。
       路傍に散在している延命や子供の健やかな成長を願って建てられた地蔵尊の前
       を通るたびに、吾輩捨て猫ホームレスにはそうした時代背景が呼び戻されてなら
       ない。
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       今回は上水堤でいま目を引く金水引とクコの花を。
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by love-letter-to | 2009-09-10 20:59 | 小平の原風景求めて | Comments(0)
               秋 葉 神 社
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       歴史的な政権交代劇に続く台風11号通過の余波で、前日との気温差が10度
       前後も上下した数日。朝夕は肌寒く感じられる日もあって、吾輩捨て猫ホーム
       レスには今年の夏は短かく感じられた。夏草に代わって開花し始めた秋の花
       を追って上水堤を喜平橋から下流へ。
       小金井橋近く海岸寺境内に隣り合っている秋葉神社前で、「あれッ!灯篭が
       建っている!」

       ウナギの寝床ような敷地に奥まっている秋葉神社の入口に、一対の灯篭が修
       復されていた。よく見ると台座など一部分は古いままで、かなりの年代ものらし
       い。ここ十数年は灯篭はなかったように記憶しているので、最近、再建された
       のではないだろうか。

       『郷土こだいら』『こだいらの文化財めぐり』にも秋葉神社の由来は不詳となっ
       ているが、灯篭の古くからの台座には「講中」「安政三年辰」と刻まれ、この当
       時寄進者を募って灯篭が建てられたと推測される。
       安政3年(1854)と言えば江戸末期、安政元年から2年にかけて東海、南海、
       江戸市中にマグニチュード6.4~8.4の大地震が相次いで、『安政の大地震』
       と総称されている。

       安政2年10月2日に起きた江戸市中の大地震では死者4,000人以上と記録
       され壊滅的な被害を受けたことから、この付近一帯の新田でも火難除けの神
       とされている秋葉神社を勧請したのではないだろうか。
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       台座の周囲には是政新田、関野新田、貫井新田、下連雀、境村など地域別に
       寄進者100名近い名前がずら~りと刻まれている。
       今回は秋の七草に数えらている葛と女郎花の花を。
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by love-letter-to | 2009-09-03 19:09 | 小平の原風景求めて | Comments(2)

忘れ得ぬ人々&道草ノート折々


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