石 塔 が 窪 残暑がひと休みしていた日、吾輩捨て猫ホームレスも秋めいた風に誘われ、
小平の開拓創始者小川九郎兵衛が幕府の許可を得て明暦2年(1656)最初
に鍬入れをしたとされる窪地を訪ねてみた。
青梅街道と旧鎌倉街道が交わる地点から北へ100メートルほどの地点、か
つては大きな石塔が建っており『石塔が窪』と伝承されている。確かに青梅
街道から緩い下り坂にはなっているが、それらしき目印も痕跡もなく吾輩は
途方に暮れてしまった。
伝承によると、江戸末期までこの地には秩父青石のかなり大きな板碑が建っ
ていたが、府中の六所祭りの神輿かつぎに参加した若衆たちが酔った勢いで、
その板碑を担ぎ出し、毎年担ぎ運んでいるうちに久米川宿の古刹・正福寺参
道付近まで移動されてしまったとか。
参道入り口を流れる小瀬川に、その石碑を渡して何と石橋代わりに使用して
いたんだって!お誂え向きだったのだろう。碑銘が水面に映るので経文橋と
か念仏橋と呼ばれていたそうだ。
時代は下って昭和初期に橋の改修をしたところ、板碑は動かすと疫病が流
行るという言い伝え通りに周辺で赤痢が流行!で、法要を営み正福寺境内
に保存堂を設けて懇ろに収めたそうだ。
その板碑は高さ2.85メートル、幅55センチ、都内で最大で『貞和の板碑』と
して東村山市の有形民俗文化財に。同市ふるさと歴史館に原寸大の複製が
展示されているのを吾輩も確かめて来たんだ!
今回は初夏から咲き続けているクサノオウと秋口に咲く山芹を。