秋 葉 神 社 歴史的な政権交代劇に続く台風11号通過の余波で、前日との気温差が10度
前後も上下した数日。朝夕は肌寒く感じられる日もあって、吾輩捨て猫ホーム
レスには今年の夏は短かく感じられた。夏草に代わって開花し始めた秋の花
を追って上水堤を喜平橋から下流へ。
小金井橋近く海岸寺境内に隣り合っている秋葉神社前で、「あれッ!灯篭が
建っている!」
ウナギの寝床ような敷地に奥まっている秋葉神社の入口に、一対の灯篭が修
復されていた。よく見ると台座など一部分は古いままで、かなりの年代ものらし
い。ここ十数年は灯篭はなかったように記憶しているので、最近、再建された
のではないだろうか。
『郷土こだいら』『こだいらの文化財めぐり』にも秋葉神社の由来は不詳となっ
ているが、灯篭の古くからの台座には「講中」「安政三年辰」と刻まれ、この当
時寄進者を募って灯篭が建てられたと推測される。
安政3年(1854)と言えば江戸末期、安政元年から2年にかけて東海、南海、
江戸市中にマグニチュード6.4~8.4の大地震が相次いで、『安政の大地震』
と総称されている。
安政2年10月2日に起きた江戸市中の大地震では死者4,000人以上と記録
され壊滅的な被害を受けたことから、この付近一帯の新田でも火難除けの神
とされている秋葉神社を勧請したのではないだろうか。
台座の周囲には是政新田、関野新田、貫井新田、下連雀、境村など地域別に
寄進者100名近い名前がずら~りと刻まれている。
今回は秋の七草に数えらている葛と女郎花の花を。