ここ10年来、毎月参加しているホームコンサートの帰りに近くの三楽公園と三楽
の森から国分寺崖線の段丘を下ってはけの道へ。詳しいことは知らないのですが、
三楽公園と三楽の森の敷地は、旧地主から寄贈されて小金井市が管理しており、
静まり返った園内はイロハ楓などの落ち葉で埋まっておりました。枝先から落ちた
ばかりの葉はまだ息をしているようで、風が吹くと追っかけっこを始めます。梢の辺
りを見上回すと真っ赤に熟れた実の房をたわわに下げた飯桐の大木が!大人の
掌よりも大きな葉はお握りなどを包むのに用いられたそうで、飯桐と名付けられた
そうです。詩人ならずとも詠嘆したくなるような自然の息づかいに惚れ惚れしてしま
いました。
小金井街道下の隧道をくぐり前原坂下付近からは野川の河川敷へ。風景は一転して
白髪化した枯れ芒の群生に人の老い先もかくあるのか…と。枯れ芒の群生も野川
の流れに沿って蛇行しており、丸山橋のたもと付近ではクコ(枸杞)の実が真っ赤な
ネイルエナメルを施した爪先のように見えて…。鋭い棘を持つ枝がブッシュ状に繁茂
していました。手を伸ばして届く辺りのクコの実を一握りぐらい摘んで、野鳥たちより
お先に失敬して悪かったかしら。
途中の案内板によると、野川流域は段丘下から湧き出る清水が豊富なため、旧石器
~縄文時代の遺跡も多いそうです。やがて小金井新橋に差し掛かると視野が一挙に
360度開けて武蔵野公園と第2調整池へ。調整池の土手から望んだ国分寺崖線、ハ
ケと呼ばれる段丘の紅葉はまさにピークに達して「歓喜の歌」を歌っているようでした。
この段丘の下に沿って伸びる「はけの道」沿いには、作家大岡昇平が戦後の一時期
奇遇して、かの有名な「武蔵野夫人」を構想したとされる富永家の屋根つきの門が朽
ちかけながらも残っておりました。屋根の上で赤く熟れた烏瓜が門灯のようでした。
「土地の人はなぜそこが『はけ』と呼ばれるかを知らない。」大岡昇平の「武蔵野夫人」
は、こんな書き出しで始まります。