あかしあ通りと青梅街道の交差点に近い吉田家では、昭和60年代まで
自家製の醤油を作っていた。恐らく最後の醤油絞りになるだろうと聞
いて見学したのは昭和63年4月のことだった。
その数日前に訪ねたら、当主の
吉田艸楽(そうらく)さんは大きな甕に
仕込んであるモロミの蓋を開けて見せてくれた。蒸した大豆と炒って
砕いた小麦に種麹、水、塩を混ぜ合わせた
モロミを通常は1年寝かせ
て絞るが、吉田家では2年寝かせて絞っているとのこと。
「そうすれば、市販の醤油のようにカラメルで色をつけなくても濃い
醤油の色が出るんだよ」と
艸楽さん。当時80歳だった。家業の畑仕
事は長男夫妻にバトンタッチしていたが、モロミのお守り役は
艸楽
さんの日課だった。「1日に1回底からかき混ぜてやらないと黴が出
てきたり、膨張して甕からあふれ出してくるんで、さぼれねぇ」と
話していた。
いよいよ醤油を絞る日がやってきた。昭島市の
小川里司さんが
フネ
という昔ながらの醤油絞り器や火入れの釜一式を運んで来た。
フネ
は木の四角い風呂桶ぐらいの大きさで、レバーを回して圧力をかけ
る万力がセットされている。
フネという醤油絞り器を始めてみた。使い込まれ、ピカピカに洗い
磨かれていた。
小川さんは元々自家製の醤油作りのためにフネを特注して、農業の
副業として近隣の農家の醤油絞りも請け負うようになった。昭和30
年代頃まではモロミを仕込んでいる農家が多く、1日に2~3軒かけ
もちで回り、一年中休む暇がなかったという。
40年代以降はさすがに醤油絞りの仕事は急速に減って、農家でも全
国ブランドの工場製醤油を使うようになってしまった。「昔はその
家の醤油の味があってね」と小川さん。
艸楽さんが2年間もお守りをしてきたモロミを片手鍋で大胆にすく
って、厚手の木綿袋に満たして口を閉じフネに横積みにしていく。
その積み上がった袋の上に落とし蓋をして、
小川さんが渾身の力で
万力のレバーを回すと、圧力がかかる仕組みだ。
フネの底に開けた口から、生醤油が最初はチョロチョロ、やがてト
クトクと流れ出してきた。これが
一番絞りだ。
木の盥で受けた生醤油を釜に移して、薪でトロトロと温めると、ア
ミノ酸の匂いというか醤油特有の香りが辺りに立ち込め、胃袋を刺
激してたまんない。香りを嗅いだだけで生唾がゴックンとなった。
沸騰させると折角の味も香りも飛んでしまうから、火入れも注意が
必要だ。火入れは殺菌と保存に欠かせない。こうして沸騰寸前で火
からおろして自然に冷ます。冷めてから1升壜に詰めると、これぞ
正真正銘の無添加の醤油が誕生する。
木綿袋に残ったモロミ滓に水を加えて、同じ工程を繰り返した
二番
絞りも塩分が多少きついが、味や色はほとんど変わらないそうだ。
「煮炊きにするには二番絞りがいいと言う人も」と
艸楽さん。
吉田家の甕は1石仕込みで、一番絞りと二番絞りを合わせて1升壜
に80~90本出来上がる。最近ではとても家族で使いきれないので、
親類に分けたり、吉田家の醤油ファンもいるとのことだった。
小川さんは「私も70歳を越して、力仕事もきついやね。今年で醤油
絞りの仕事も最後かな」とポツリ。そのホッとしたようで、一抹の寂
しさを浮かべた顔が忘れられない。
醤油は海外でも人気が高まりグローバル化している一方、日本では
調味料の消費ナンバー1の位置を数年前に“だし醤油”に取って代わら
れたそうだ。