◇ 腹をくくって ◇
昭和55年8月1日、
江分利満氏こと山口瞳さんの自宅で、その年の全国高校野球西東京大会決勝戦を観戦することになった。
午後12:59分試合開始のサイレンがテレビ画面から流れてきた。ビールグラスを片手にモニターに向かっている
江分利満氏の横で、国立高校のバッテリーの名前も知らない私は「解説者の横で観戦していると思えばいいや」と腹をくくって、ソファに浅く腰掛け見守った。
対戦相手は駒大高校。
江分利満氏によると、「どちらも優勝候補に上がるチームではなかった。1戦1戦丁寧にコマを進めて決勝戦に臨んでいる。国高の打力からすれば勝てない相手ではない。一回戦から好投している
市川クン(武史)は東大志望なんだよ」
実を言うと
江分利満氏は小説やエッセーのように“滑舌”ではない。ことに女性は苦手のようで、インタビュアー泣かせである。目をそらせてポツリと漏らす。その一言が実に憎いのだが、こちらの懐にドスーンと飛び込んでくる。投球で言えば真ん中低めの剛速球といったところか。聞き逃したら、それこそ
空振り三振だ。
◇ 泣かせる“浪人覚悟” ◇
そんな
江分利満氏の一言を逃すまいと耳をダンボにしていると、試合経過が頭に入らない。「アッ!ヒットだ!」と声を上げたら、「今のは駒大高の4番打者です」と
江分利満氏にジロリと睨まれた。
「しかし泣かせるね。国立高校の垂れ幕は『浪人覚悟!』なんだから。市川監督(忠男)も高校のクラブ活動としてやってると淡々としているから、まさに爽やかチームだよ」。ふと見たら
江分利満氏のビールは2本目を開けていた。
0対0のまま8回を終えた。「こういう試合は胃が痛くなりますね」「お互いにチャンスでいま一つなんだ。だけど緊張したいいゲームだ!」
9回表、国立高に待望のチャンスが!3番からの好打順。右翼前へヒットに続く4番打者名取キャプテン(光広)は初球を捕らえて鋭く振った!駒大の野手が飛び跳ねている。「2塁打だ!無死2塁3塁、ようし思い切って行け!」
江分利満氏は腰を浮かしてバッターボックスの5番に叫んでいる。しかし、3球3振。「ここが耐えどころだな」と
江分利満氏は自分に言い聞かせている。
◇ それなりに勝とう甲子園 ◇
6番市川投手がスクイズで3塁よりに決め、待望の先取点が入った!そしてもう1点を追加して向かえた9回裏。市川投手が4人を討ち取った瞬間、私は「大変!国立商店会の応援会場に行かなくっちゃ!」と、青くなった。国立高校が優勝したら商店会の歓喜のシーンも写真に撮ることになっていた。9回の裏の最後まで決着が持ち越されるなんて予想もしなかった。不測としか言いようのない事態に焦りに焦った!これが高校野球なんだ!
江分利満氏が呼んでくれたタクシーで、さよならも言わないで国立駅南口前の特設会場へ。その間4~5分、会場へ飛び込んだ瞬間、クス玉が割れた!間に合った!その後のことはサッパリ記憶にない。
“都立の星”国立高校は念願の甲子園出場を果たした時のキャッチフレーズは「それなりに勝とう甲子園!」。甲子園では強豪箕島に初戦で敗退したものの、このキャッチフレーズはちょっとした流行語になった。
◇ TVドラマ版「居酒屋兆治」 ◇
江分利満氏にはもう一つ思い出がある。人気作『
居酒屋兆治』は高倉健・大原麗子主演の映画でも大ヒットしたが、テレビドラマにもなった。三村晴彦監督・安倍徹郎脚本で兆治役を近年『ラストサムライ』で名を馳せた渡辺謙、その女房役を桜田淳子、兆治のかつての恋人役を美保純が演じ、平成4年4月、大学通りの桜が満開の頃から、国立を舞台にロケが始まった。
原作者
山口瞳さん夫妻を初め
関頑亭さん、弟の
関敏さん、『ロージナ』茶房の
伊藤接さん、作家の
嵐山光三郎さん、漫画家の
佐藤サンペイさん、兆治のモデル
八木方敏さんら “
山口組一家”と言われる地元の顔たちも総出演して話題になった。
江分利満氏も治子夫人とご近所の隠居さんとして熱演。そのご隠居さんの還暦を祝うシーンは、富士見通りの『わっかめし なつめ』の2階大広間で撮影された。“
山口組一家”40名あまりが宴席にずらりと並んで、ドラマのロケというより“
山口組一家”の宴会そのものであったのが愉快であった。
乾杯シーンをやり直すたびにグラスを空にしてしまう“
山口組一家”に、三村監督のオクターブは上がり、テレビ局のスタッフは慌てていた。
その1~2年後、渡辺謙は海外ロケ中に急性白血病を発病、桜田淳子は例の統一教会問題で芸能界を去った。“月日は百代の過客にして、行き交う人も旅人なり”の思い新たであると
江分利満氏は漏らしていた。
当世一の名文家で洒脱で鳴らした
江分利満氏も平成7年8月31日肺癌で他界された。享年68歳。ご自宅で行われた通夜で、
高倉健さんから届けられた白い花篭が非常に印象的だった。ありふれた葬儀用の花ではなくストイックな
健さんらしいエレガントな花篭であった。