◇ 厳冬の無言館に新たな建設の槌音 ◇
信州上田の郊外に建つ戦没画学生慰霊美術館
『無言館』からも嬉しい新春便りが届いた。館主の
窪島誠一郎さんから直筆で「感謝!!」の一言を添えた賀状と、同館の
第二展示館と併設の『
オリーブの読書館』建設工事の状況報告が寄せられた。2期工事は順調に進んでおり今秋には完成するそうだ。『
オリーブ読書館』には戦争の歴史と平和の尊さを伝える図書と書簡など20,000点を収蔵し公開される。
窪島誠一郎さんと言えば、20~30代の画業半ばで夭折した画家たちの作品を求めて流浪し、私財を投じて上田に『
信濃デッサン館』を1979年6月に開設。その20年後には日中戦争・太平洋戦争で命を散らして逝った画学生たちの遺作を展示するために『
無言館』を開設した。
2歳で生き別れた実父の作家・
水上勉と30余年ぶりに劇的な再会を果たしたことでも知られる。そんな
窪島さんとは懇意ではないが不思議な縁の細い糸で結ばれている。
◇ 夏の終わりの信濃デッサン館で ◇
『
信濃デッサン館』がオープンした年の夏の終わりに、初めて同館を訪ねたのだが…。土地に不案内な上に、付近の道筋にまだ看板もなくて迷いに迷って、もう諦めようとUターンした時、前山寺の参道入口に小さなコンクリートの建物が目に入った。
夏の終わりの黄昏時で入館者の人影はなく、受付カウンターの向こうに座っていたのが
窪島さんだった。「あら、お一人で受付もやっておられるのですか?」「アルバイトの学生も夏休みが終わって引き上げましたから」。
たったそれだけの会話だったが、帰りの道を尋ねたら
窪島さんは受付から出てきて、指差しながら別所線塩田町駅までの近道を教えてくれた。その時、Gパンの膝が大きく裂けて膝小僧がむき出しになっていた。180センチを越す長身で、劇画『
あしたのジョー』みたいな大きな瞳の
窪島さんに、私は「ワ~カッコいい!」と心の中で叫んだ。展示されていた画よりも窪島さんの印象が強烈だった。しかし、塩田平を見下ろす丘陵地の冬は厳しく寂しいだろうと思わずにはいられなかった。
その翌年も翌々年も夏の終わりに、小諸や軽井沢を旅したついでに『
信濃デッサン館』を訪ねた。展示されている
村山塊多、
関根正二、
松本駿介…夭折した画家たちの作品は暗くてやりきれなかったが、それらの作品に焦がれて追い求めた
窪島さんの滝しぶきのような文章にベタ惚れしていた。
同館を訪ねるたびに『
信濃デッサン館日記』『
信濃デッサン館日記2』『
わが愛する夭折画家たち>』『詩人たちの絵』などの著作を求めた。夏と秋の観光シーズンの端境期だったせいか、
窪島さんが目の前でサインをしてくれることもあった。それで少しずつ会話を交わすことが増えて顔見知りになったのかもしれない。
◇ クボシマくんとご近所付き合い ◇
その後、このブログの『
モーニングコール』で紹介した
谷口金治・政江さん夫妻と懇意になり、政江さんとは親友付き合いをするようになって、ある朝のこと。政江さんが「
クボシマくんが
金治さんの絵を見にきてくれることになったから…」と、モーニングコールが掛かってきた。
「エッツ!
クボシマくんて、
信濃デッサン館の窪島さんのことかしら?」「
クボシマくんとは明大前で長年の近所付き合いだったから…」と、大男の信濃デッサン館館主を“くん”づけで呼んでいた。
谷口さん夫妻が結婚と同時に開いた室内装飾店の向かいが
窪島さんの営んでいたスナック『塔』で、最初の仕事がそのスナックの椅子の張替えだったとか。
「お互いに貧乏しながら近所付き合いをしてきたのよ。そうそう
クボシマくんから新しい美術館を建設する募金に協力してくれと頼まれたから、あなたも応援してよ!」。
その新しい美術館というのが、戦没画学生慰霊美術館『
無言館』であった。
谷口夫妻も私も同館のレンガ3個分30,000円を寄付して、1999年5月のオープニングには一緒に参加する約束をしていたが、
政江さんの乳癌の進行は早く残酷だった。彼女はセレモニーと前後して帰らぬ人になってしまった。
◇ 谷口政江さんの三回忌展で ◇
政江さんの三回忌追悼と併せて開かれた
谷口金治さんの『メキシコ画遊展』には
窪島さんも上田から駆けつけて、「谷口さんの絵と人のこと」について講演し、金治さんも自分も男のわがまま、身勝手を許してくれた妻には頭が上がらないと受戒していた。絵を見る目と同様に己を見る厳しい目も持っている
窪島さんのますますファンになった私です。ちょっとワルぶって自虐すぎるのが気に入らないけど…。
◇ 無言館に第二展示館とオリーブ読書館が ◇
昨年から募集している
『無言館』第二展示館と『オリーブの読書館』建設資金にも、わずか二口20,000円しか募金しなかったのに「あたたかい応援に感謝しております!」と
窪島さんから律儀な礼状が寄せられている。
『傷ついた画布のドーム』第二展示館の開設によって、収蔵作品約600点がすべて展示できることになり、『
オリーブ読書館』の中庭には戦地パレスチナから届けられたオリーブの苗100本が植えられ、沖縄・摩文仁の丘から採掘された石が使われるそうだ。