忘れ得ぬ人々& 道草ノート

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ブルーガムファミリーへの旅 その①

         ◇ コアラの楽園づくりの呼びかけ ◇
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「ユーカリの苗木を育てて、コアラの楽園づくりを!」と、オーストラリアでのユーカリの植樹運動が始まったのは1990年の夏だった。『ブルーガムファミリー』という市民グループによって、ユーカリの苗木代と植樹・その育成費を含めて1本5,000円で寄贈者を募った。その東京事務所代表が小平市内に住んでいたこともあって、多摩周辺から広がった。  

ブルーガムblue gumとは約600種もあるユーカリ属の中で、コアラが好んで食べる樹種の通称で、16~20種ぐらいしかないそうだ。笹の葉のように細く緑青色の葉をしている。

       ◇ 年間3万本以上のユーカリが伐採され ◇f0137096_21453477.jpg
当時、オーストラリアではユーカリが年間に3万本以上伐採され、その6割以上が日本に輸出されて紙の原料となり大量消費されていた。その総量は1年間に24万6000トンにもなり、コアラの住処を奪っていた。

「このままではコアラが絶滅してしまう!」オーストラリアを旅して、そうした深刻な自然破壊を耳や目にした人たちが、シドニーのコアラ・パークの指導を受けて、シドニー西方320キロのカウラ市に新たなコアラ保護区を作ろうと、『ブルーガムファミリー』を結成。

        ◇ ユーカリの苗木植樹運動 ◇
日本側のスタッフを呼びかけるとともに、ユーカリの苗木の寄贈者を呼びかけた。自然破壊や酸性雨の影響が問題化されていた時期でもあり、1年あまりでスタッフは30名近くになり、苗木寄贈者も約280名にも上った。カウラ市の土地所有者の協力で確保した約70,000平方メートルの土地に、寄贈されたユーカリ苗木280本と日本船舶協会からの150本も植樹された。
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植樹地はカウラ市内を蛇行するラクラン川沿いで、苗木にはネームプレートをつけ、その写真と感謝状がクリスマスには寄贈者に送られてきた。

ユーカリ属は元々成長の早く、それら植樹した苗木も1年で1.5~3メートルに成長しており、2年目の植樹祭ではカウラ市長コアラ・パーク園長らも出席して850本にも達したとグッドニュースが送られてきていた。
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         ◇ 苗木植樹地見学の誘い ◇
「一度、そのカウラ市のユーカリの植樹地を見に行きませんか」と、日本側スタッフの一人で獣医師の本田三緒子さんに誘われた。学生時代からオーストラリアにホームステイして、コアラ・パークのボランティア経験も豊富な女性だ。

「シドニーからレンタカーでブルーマウンテンの近くを横断するルートは、かなりスリリングですよ」。スピード・スリル・サスペンスには全く弱い私だが、「もちろん、行くわよ」と即答してしまった。私が寄贈した苗木に会いたかった。寄贈する前後に誕生した初孫が成人して、お祖母ちゃんの名前のプレートのついたユーカリを訪ねてほしいと、夢みたいなことも頭に描いていた。

しかし、日本から遠く離れたオーストラリアでユーカリの植樹活動が成功するのだろうか…不安も小さくはなかった。サハラ砂漠でもネパールや中国の奥地でも植樹に成功はしてもアフターケアが難しいと聞いていた。
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        ◇ 植樹地周辺には大戦の悲劇が ◇
人口1万人あまりのカウラ市には第2次大戦中の枢軸国捕虜収容所があり、そこで終戦1年前の1944年8月に収容されていた約1,000人の日本人捕虜が集団脱走して、231人が射殺されたという『カウラ事件』の悲劇の土地だ。“捕虜”の名を恥じて集団自殺を強行したとも伝えられている。

旧日本軍の戦陣訓“生きて捕虜の辱めを受けず”が悲しいまでに、日本兵には染み付いていた。
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実名を隠したまま死んで行った捕虜も多かった。遺族に連絡をとることもできないままカウラ市の心ある人たちによって手厚く葬られてきた日本人戦没者たちの墓地。その事実が明るみになったのは戦後も大分経ってからのことだった。

       ◇ 日本人墓地をきっかけに日豪友好の架け橋を ◇
この日本人戦没者の墓地がきっかけとなり、日豪関係の修復の機運が高まり、両国親善のシンボルとしてカウラ市内に『日本庭園と文化センター』の建設が計画され、竣工したのは昭和61年(1986)であった。人口1万人足らずの小さな街に『日本庭園と文化センター』を建設するのは、市民にとって大きな負担であったが、それだけカウラ市民の日豪友好にかける熱意は大きかったと言えよう。
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1988年の初夏には、カウラ市周辺在住の親日家や在留邦人の間で、「カウラ市に美しい桜並木を造ろう」という運動も始まり、日本人戦没者墓地のあるカウラ市営霊園と『日本庭園と文化センター』とをつなぐ約3.5キロの沿道に、桜の苗木の植樹が始まった。

その年1988年はオーストラリア建国200年に当たり、1988本の桜を植えるのが最終目標で、日豪の市民から苗木寄贈のキャンペーンを展開していた。

         ◇ 自分の目で植樹地をと… ◇
などなど、日本との関わりの深いカウラ市に『ブルーガムファミリー』もユーカリの植樹とコアラの楽園建設を目指したという。ぜひ私の目でもユーカリの植樹地桜並木カウラ事件の悲劇の地を訪ねたいと、大変欲張った旅行プランを立てて1993年10月15日成田を発った。
ブルーガムファミリー』スタッフの本田三緒子さんと五島龍子さんと私の3人でシドニー空港へ。次回は、それら日豪親善の道を開いてきたカウラ市へのレンタカードライブの思い出を…。
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by love-letter-to | 2008-03-16 22:07 | 人間万歳! | Comments(2)
Commented by cheery at 2008-03-19 20:32 x
モグラさん こんばんは
昨夜9時からテレビで「東京大空襲」を観ました。第2大戦を知って
いる者にはとても辛い映画でした。当時のことが色々と思い
出されました。中国も段々物騒なことがあって、先は大丈夫かな
と心配になります。日本庭園はやはり素敵ですね。日本の文化を
誇りに思います。
Commented by 小平のモグラ at 2008-03-19 23:07 x
cherryさんコンバンワ!
今日は雨でしたが、数日来の陽気で桜の開花が早まる
とか。オーストラリアの内陸部の片田舎に日本庭園が
あることは、日本では殆ど知られていませんが、大戦中
の捕虜収容所の悲劇がきっかけとなって、見事な日本庭園と
文化センターが誕生して日豪交流の場になっていました。

足の便が悪く、観光ルートではないので、二度と訪ねることは
出来ないでしょうから、思い出は募るばかり。少し重い話です
が、この機会に記憶を整理しておこうと書き始めました。
最近、オーストラリアからの輸入食材にも日本では禁止され
ている農薬が検出されたとかで、とても気になっています。
それにしても中国の素材は物騒で口にできませんね。