
12月最初の日曜日の今日は二十四節気の「大雪」ですが、この日を待たずして日本
海側だけでなく四国、九州でも大雪に。首都圏でも最低気温が氷点下になり、朝晩の
冷え込みが厳しくなってきました。
でも、この時期の上水路を歩くのは紅葉黄葉が最終章を高らかに奏でているようで、
“高揚”してきます。もうすっかり葉を落とした柿の木には赤々と熟れた実が!会津身
しらず柿のように、枝がしなるほど実をつけたままの姿も目立ちます。
会津身しらず柿の由来には幾つかの説があり、身の程知らずに実をつける柿もその
一つの説ですが、私もしばしば身の程知らずのことをやってしまいがちで…。会津身
しらず柿のファンです。

水車橋のたもとの柿の木にも、たわわにつけた実が熟れるままになっていましたが、
風が吹くと真っ黒い鳥が羽を広げて右往左往しています。カラスかしらと目を凝らす
と、鳥避け道具の一種でした。
鳥避けには鳩やカラスそっくりにできた道具の足を縛って、逆さまに吊るしてあるのを
見たことがありますが、グロテスクでやり過ぎではないかと。水車橋の鳥避けはカラ
スの形をしていますが、ユーモラスで役にたっているのかどうか?

中央公園の公孫樹並木はもう殆ど裸木になっていましたが、体育館前のブロンズ像
「躍動」の周りの2~3本だけは黄金色に輝いておりました。黄金色をバックに躍動す
る青年像を撮るのを楽しみにしておりますが、黄葉のピークと天候のタイミングが難し
くて、昨日はまだ公孫樹の一部がグリーンを残したままでした。で、 ちょっと角度を変
えてシャッターを。
上の写真の左は2009年12月4日撮影。右は2014年12月6日撮影。

紅葉黄葉褐葉の最終章を迎えた堤ではウォーキングや散歩、買い物や通勤、通学の
姿、歩行訓練をしている高齢者にも出会います。日常に親しまれている存在ですが、
2003年には歴史的土木遺産として国の史跡に指定されています。

ことに小平市内の玉川上水は江戸初期に開削された素掘りの法面(のりめん)が、目
にできる形で遺されています。両岸の樹木と自生野草は宅地化市街化していく沿線に
あって、最後の自然であり、貴重な存在だと思うのですが、玉川上水と上水堤を分断
する道路が工事中も含めて6本も予定されているそうです。国の史跡なのに!
玉川上水や周辺の水と緑の景観を守る活動に長年、関わってきた8つの市民団体で
発足した 「みどりのつながり市民会議」が主催して、昨日6日、 「Walk&Talk玉川上
水」イベントが開かれました。午前11時、中央公園に参集した人たち約40人で、上流
に向かって約2キロ、都立小平西高校付近まで水車跡などの遺構と現状を見ながら
歩きました。

上水堤から望めた小平市の天然記念物第一号の「竹内家の大ケヤキ」も、新築住宅
群に阻まれて、見えなくなってしまいました。「この景観だけは残して欲しかった」という
参加者の声が胸に響きました。冬の強風や春先の表土を 捲き上げる赤っ風を防ぐた
めに、青梅街道筋の旧家では屋敷の周りにケヤキなど植え、シラカシやヒイラギで高
垣を設けて防風林に。これを地元では木の森の意味で「キモリ」と読んだとか。
開拓時代からの地割が残っていた一帯は、アスファルト道路と積み木細工のようなハ
ウス群に変わり、電柱が林立していました。これが“安全で安心して暮らせる社会像”
なのかしら?上の写真は大ケヤキ道から望んだ竹内家のキモリ(左)と区画整理事業
で整備された畑地。

大ケヤキ道の西側には立川通りから立川市若葉町に抜ける都市計画道路が工事中
で、パワーリフトの巨大なアームが忙しく立ち働いていました。上水開削当時の人力と
はえらい違いで…。もう橋の欄干も取り付けられていました。

途中、武蔵野美大付近の堤で見かけたムラサキシキブは、葉を殆ど落として丸い小さ
な実を冬陽に輝かせていました。1~2枚残っている枯葉に、クオレの名作「最後の一
葉」を思いだして、「目印のために残っているのかしら」と。

帰途、立ち寄った都営津田町アパート敷地内では、ヒイラギが小さな花をつけていまし
た。木偏に冬と書いて「柊」。初冬の花です。

先月22日、通りかかった小平団地では縦笛を吹く少年のブロンズ像が、公孫樹並木
をバックに浮かび上がっていました!ファンファーレを高らかに響かせているみたい
でした。少年の肩に鳩が止まっているんです。
この日を境に公孫樹は黄金色の葉を一斉に落としたようで、数日後には裸木並木に。